2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

10月30日

風が北から吹く。今月読んだ松岡正剛さんの本を振り返っている。ぼくは本を読むときには付箋を大量につけている。そもそも今月、正剛さんの著書を読もうとおもったのは、日本を見るものさしを得られるとおもったから。著書の付箋の箇所に、「ひとつは世界と…

10月29日

松岡正剛『連塾 方法日本』三部作を読み終える。雨続きの天気のおかげで3週間で読み終えた。いろいろ考えさせられ、いろいろヒントをもらった。正剛さんの連打に苦しみ、自分の無知を知った。無知を知って、知りたいことが溢れてきた。日本のこと、世界のこ…

10月28日

「ある人が、何かを本気でやりたいと思った時、その人以外の誰も、それを制止できる完璧に正当な理由など持ち得ない。そんなの、あり得ない。」(小山田咲子『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』) 週末はまた雨の予報。雨が続くから雨のせいにしてい…

10月27日

言葉によって縛られ、言葉によって自由になり、または、制限することによって自由になる。 「私たちは、限定とは事態や選択肢を限ることですから、それが多様性を奪ったと思いすぎているんです。」という言葉を読んで、いままで盲目的に信じていたことが覆さ…

10月26日

ひさしぶりに友人と夕食をとる。22時頃家に向かって車を走らせる。目の前の空には雲がない。星がきれい。 石川直樹『すべての装備を知恵に置き換えること』を思い出す。「ミクロネシアの離島に住む航海者たちは、カヌーの揺れ具合や船体にあたる水の音によっ…

10月25日

本を読んでいると、「なんで本なんか読んでいるの」と聞かれることがある。はてには「本に書いてあることが事実だとも限らないでしょ」と言われる。そういわれるともっともな気がしなくもないが、おそらくそのひとは勘違いしている。そもそも、事実かどうか…

10月24日

昨日は友人宅でBBQ。いろいろ話す。それから、いま本を読んでいることについて考える。(最近は読書のことしか書いていないな。しかも本の内容じゃなくて、本を読むことについてしか。) いましかまとめて読む時間がないだろうこと、ぼくの師匠たちはみな多…

10月23日

今日もひたすらに本を読む。いまは少し背伸びをしながらの読書。ああこのひとにはとうてい敵いやしないな、とおもうひとの本を読む。それは松岡正剛さんなのだけど、彼は僕のなんにんかいるうちのエアー師匠のひとり。本がいいのは、著者を勝手に師匠にでき…

10月22日

台風の雨が勢いを増す。コーヒーが切れていたから、買いに出かける。今月は、コスタリカのラ・クンブレとメキシコのエルオルミゲロ。頼まれて、エチオピアの木上完熟イルガチェフェG1を購入。これ、めっちゃうまい!ぼくの今年のベストコーヒー。それから、…

10月21日

大事なことは経験から学ぶ。負の経験から。そこから這い上がるたびに、この世は無常だとおもう。成功は失敗の上にしかない。そう考えると、負というのはダメなことではないのに、最近もっぱら負をダメもの扱いにしたり、知らんぷりしているようにおもう。 サ…

10月20日

土用です。「春夏秋冬の終わりの十八日間のことを土用という。辰・羊・戌・丑にそれぞれある。(中略)冬は唐突に春になるのではなく、春もまた直ちに夏になるのではない。各季節の間には、そのいずれにも属さない中間の季がある。それが各季節の季(すえ)…

10月19日

よく雨が降る。漠然と本をたくさん読む。あれこれ手を出して、おもしろかったら一気呵成に時間を忘れて読み、つまらなかったらそっと閉じる。そんな日々を積み重ねる。本を読むことは、いろんな種を蒔くようなものだ。播いた種にとって、温度や水気、栄養、…

10月18日

ひさしぶりに晴れ間をみる。朝は穏やかで、まさに秋晴れ。空き家の庭の木を切る。ほったらかしになった木が屋根を覆う。その空き屋の家主は亡くなられていて、遠くに住む甥(といってもおじさん)の依頼によるものだった。なんだかかものかなしい。家の庭の…

10月17日

長い雨がやんだ。 なにかと理由をつけたり、論理的にものごとを考えた結果、正しいから、行動を起こすということが多くなっていて、なんだか息苦しい。「A=B B=C A=C」のように、それが唯一の正解で、正しいからやっていますなんて、もちろんそう考えたほ…

10月16日

長く冷たい雨が降る。とても静かな一日。レイモンド・カーヴァー「大聖堂」を読む。事実は小説より奇なりとはいうが、小説が現実よりリアルを描くこともある。この話のおわりに、「こんなときには、ものを食べることです。」とパン屋の店主はいう。こんなに…

10月15日

大阪で試合のため、久しぶりに電車に乗る。 京都三条大橋のスタバに寄って、スターバックス・リザーブの東ティモールのピーベリーをのむ。スタバは数年ぶりだが、これを飲むためにだけ寄った。豆を選りすぐり、丁寧にお湯の温度を測り、特別な機械で(おそら…

10月14日

未来を具体的に描けるかどうかだとおもいます。そこから逆算して、具体的なステップを描いて、それをやることだとおもいます。

10月13日

なにかを見るには、基準がなくては、ちゃんと見れない。それは大きいのか、小さいのか。なぜ大きいのか。なぜ小さいのか。それを日本では型という。型にはまるというとあかんことの典型的なイメージだけど、型があるから、形を破ってきたともいえる。いまや…

10月12日

社長とランチにいく。会社近くの喫茶店。日替わりメニューをオーダー。オムレツにデミグラスソース。サラダと小皿は竹輪の炊いたん。ごはんと味噌汁とお茶。まとめて、盆の上に。盆じゃないな、プレートに。食後はコーヒーで。和洋折衷。カオス。混沌。ジャ…

10月11日

出勤前に、裏の畑に水をやりに行く。しゃがんで、目線を低くしたら、ホワイトクローバーの種からすこし芽がでていた。ちょっと嬉しい。 寝る前に、松岡正剛『連塾』を読む。 ここ最近のぼくの嗜好を羅列しておく。テレビなし。食べもの大事。日本史ブーム(…

10月10日

うつろいを感じるだけで、その前後にあるうつもうつつも感じとれる。日本の神はマレビトだと折口信夫がいう。日本の方法は超省略の編集だ。うつろいは一瞬で、超微細。アンテナの感度をあげるために、日常にはひらがなや神話があった。 見渡せば花ももみじも…

10月9日

仕事から帰宅して、裏の畑に向かう。土の水分を確認して、水をやる。先日、家の畑を借りて、家庭菜園をはじめた。播いたのは、ホワイトクローバーの種。種をまくと、芽がでるのが楽しみになる。だから毎日畑に出向く。昨今は、即興の娯楽が溢れているが、待…

10月8日

ディランのローリングサンダー・レビューを聞く。Hard rain、Depotees、Idiot Windがお気に入り。ローリングサンダー・レビューは、70年代にボブ・ディランが行ったツアー。当時の音楽が商業的になり過ぎ、それに対して、ライブや即興でディランは演奏した。…

10月7日

型を知ること、そこから型を破ること、未完成にすること。それと、荒むこと。 ということをいま僕は考えている。日本の文化というけれど、そこをすっ飛ばしてはいけない。文化の上澄みだけをすくってこれが日本ですといっているのをぼくは心の底じゃ許せない…

10月6日

「考えて、行動し、また考える。考えることと、体を動かすことは別のようで、つながっている。行動し、手応えがあったからこそ、思いつくことは多い。触ること、手に持ってみること、すこしやってみることでわかるというのは、誰でも経験があるだろう。そう…

10月5日

昨日は、中秋の名月。『徒然草』より、「花は盛りに、月は隅なきをのみ、みるものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し」。月が隠れているときに月を感じ、花が散ったあとや花が蕾のときに花を感じる。「ない」か…

10月4日

イマジネーションやクリエイティビティやセンスは、圧倒的量によって、後天的に身につけことができるのではないかと、正剛さんがこんなに鋭い秘訣を垣間みた。今日も松岡正剛さんの本を読む。 『月刊遊』の特集・相似律では、似ているものだけをとことん集め…

10月3日

昨日の衝撃が残っている。松岡正剛さんの本の衝撃。「いまの日本人は日本のこと知らないんですよ」という言葉が、頭を駆け巡っている。ぼくはこれまで日本のことを知ろうともせずに生きてきたわけだから、たしかに日本のことを知らなくても生きていける。だ…

10月2日

最近は、やっていることやその結果より、そこにたどり着くまでの道、やり方が気になっている。やり方にこそセンスや個性が溶け込んでいるようにおもう。 「結局、仕事ができるやつは、難しいことを一切やらないで、簡単なことをやるから、早いし、きれいにで…

10月1日

10月です。昨日、「新米が出来上がったから、送るわ!」ということを、北九州に住む友人に連絡したら、今日の試合で「点を取る」と返事が来た。今日、携帯で試合速報を見ると、本当に点を取っていた。すぐに連絡すると、「川口能活から直接フリーキックで決…