TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを


1月9日

コトバとカラダは大事だとおもって、昨日寝る前に、さっそく思考のエクササイズ(寝る前に、その日一日の出来事を逆に思い返す)をして寝たら、一瞬で今日の朝だった。エクササイズとそのことが関係があるのかわからないから、しばらくつづけてみよう。

 

仕事を終え、うちに帰って、家事の最中に、ぼく宛の郵便が届いた。先日、安曇野で吸い込まれるように手に取った田淵行男『山の意匠』だろう。すこしおおきめの丁寧に包装されたそれは、まだ開けていないが、中身が何か知っているが、わくわくしてしまう。包みは、秘すれば花。そうそう、勝手に連想してしまったが、山の意匠、山の衣装なのだ。この本は!隅々までいい!たくさんのひとに見てもらいたい一冊なんだ。

 

22時から、Blue Note Funkを聴きながら、松岡正剛、エバレット・ブラウン『日本力』を読みはじめる。音楽は低音だな、低音は振動で、心臓です。低音と本のリズムが合えば良い感じ。それはそうと、エバレット・ブラウンが言った「みんなが何かを連想し、それがどんどん繋がって、解放された思考が共有される場所があればいいんですけどね」にどきっとした。それから、やっぱり多読だなと。昨年に引き続き、2018年も読書に予算をつけました。途中、Stuben が読みたくなったので、脱線。「スキーとはただ競技に良い成績をあげるなどということではなく自由な自然の山地を滑り、日常の仕事や疲れを回復し、心のわだかまりを取り去ることにある。ただ元に復するのではなく、身体を鍛え、精神的にも抵抗力を高めることにある。このために技術を取得し、回転を極めるのだ。」

1月8日

朝、コーヒー屋のおっちゃんにもらったブルーマウンテンを淹れる。好きな味ではない。かつてコーヒーといえば、ブルー・マウンテンか、モカマタリか、キリマンジャロだった。いまは、ゲイシャエスメラルダ、コピルアック、エルインフェルトパカマラかな。コーヒーといえば、これ。っという時代のマーケティングで、ブルマンを飲んでいたのだから、美味しくなくても(味覚はひとそれぞれ)、これっとおもうのだろう。

 

サピエンス全史に、ホモ・サピエンスが生き残ったのはイメージすることができたからとあった。みんなが価値があるとおもっている間は、そのものには価値がある。紙幣とか、ハイブランドとか。ハイブランドの値段の半分は広告費。

 

もちろん生活する上では、そういう価値も大切にしたい、一方で、価値づけられたものではなく、自分で価値をつけることをより大切にしたい。形容詞として「ぼくの」をつけたら、その瞬間にビートルズだって、あんパンだって、コーヒーだって、ぼくのものになる。それがストーリーにもなるし、それらのものは、正剛さんがいう言葉を借りると、述語的に繋がっている。

 

身体知。は、プロセスにあるとふとおもった。なにかを達成するのを目標にしたとして、結果的に、その目標が達成できようができまいが、その目標に向かっている途中の道の風景や、匂い、坂の傾斜、すれ違う人々が大切だとおもう。身体的負荷をかけるほどに、心は動くし、経験から学べる。テレビ越しで見るアフリカの砂漠の夕日は綺麗だけれど、おそらく、体を運んで自分の目で見たアフリカの砂漠を見たとき鳥肌が立って絶句するだろう。それは、夕日を見るまでに、数時間飛行機に乗って、言葉が通じない世界に行き、そこから、ローカルな交通手段で、ときには、トラブルにあいながら、たどり着くからに他ならない。自分の体を軽くして、移動して現地に行くことをやめてはいけない。身体知。

 

部屋に積まれている未読の本を一気に片付けたいと思う一方で、読むのに時間がかかっても少しずつ読むことの大切さは重々承知している。身体知。

 

ズレを愛せなくなっちゃあおしまいだな。通りがけにみたテレビで、年配のじいさんが、「玉をほる」といった。テロップには、「玉を投げる」と変わっていた。多様性はどうなるのか。

 

松岡正剛、田中泯の対談本『意身伝心』を一気に読み上げる。コトバとカラダは繋がっている。けれど、コトバとカラダを離れ離れにしすぎている。グーテンベルクが活版印刷を発明する以前、ひとは本を読むときに黙読ができず、音読をしていたという。声を出して本を読んでいたということは、コトバは振動となってカラダと繋がっていた。

 

本著に書かれていたエクササイズをふたつ試してみようとおもう。1)寝る前に、その日一日の出来事を逆に思い返す、2)通勤の車窓から見える風景、そのとき感じやこと、頭によぎったことを同時に言語化する