TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


4月30日

『インタースコア』を読み終え、門を叩こうと決意する。

 

さて、毎月はじめのたのしみといえば、本を買うことです。自分に足りてないのは、多読だとおもってから、毎月5000円分の本を購入すると決めて、数ヶ月経ちました。本を読めば読むほど、読んだ本の根に、次に読みたい本がひっついてくるので、アマゾンのほしい物リストには読みたい本がずらっと並んでいます。そのうえ、アマゾンAIのリコメンドがなかなかよくて、欲望が4月のタケノコのように地上にどんどんと出てきます。毎月末にアマゾンのほしい物リストを眺めていると、毎日顔を出すタケノコの調理法を悩むように、あるいは夏のきゅうりの豊作に悩むように、どの本を読もうか迷ってしまいます。結局のところ、ほしい物リストにある本のほとんどは買うつもりなので、早く読むか後で読むかの問題なのですが、なんにせよ5000円分と決めていると真剣になります。そんなときに、師匠の言葉が頭をよぎるのです。「あらゆる投資の中で、自己投資がもっともリターンの大きい投資だ」と。さて、今日で4月が終わります。5月に購入する本を朝から選んでいます。どうやら予算を超える見込みです。そんなときには、呪文のように自己投資と心でつぶやきます。(世の中には希少価値なものがあって、そのなかのひとつが時間。本を読むのには、時間が必要。読めば読むほど、文化や文脈が自分の中に構築さていく。それはあたかも、文化や文脈が共有されていることを前提とする日本文化のように。)

 

この季節の夜ってなんて気持ちのいいのだろうと、ソファに座って、お気に入りのジョニ・ミッチェルのThe hissing of summer lawnsを聞いている。

 

https://1000ya.isis.ne.jp/1540.html

4月29日

6時に起きて、神社で火を焚く。煙が立ち上がり風が吹きはじめる。観客のないなか鎮守の森で静かに祭りがはじまる。

 

「祭りは、体を清める禊、神迎え、神輿を担ぐ魂振り、行道、神殿での魂鎮め、神送りのあと、一同で共食する直会となる。繰り返し続けていく周期と節目ごとの儀礼に、日本が大事にしてきた方法が象徴されている。」(『インタースコア』より) 「情報の記録と記憶は、祭りの順序や服装の色やあるいは模様や歌の様式で保存されたのである。」(『日本数奇』松岡正剛)

 

ぼくは祭りの後が好きだ。なぜだろうか。余韻が残っているからなのかもしれない。祭りの最中の騒ぎと後の静けさからなのかもしれない。そこにはもうないのに、まだそこに残っているものを感じたときのなんともいいようのない感覚がたまらない。

4月28日

才能を英語の訳で理解しないのが、最近の僕のお気に入り。才能をtalentと置き換えない。

 

日本では才能というものは「才」と「能」との二つが共に合わさらないとだめだとされていた。「才」は「ざえ」と呼んで、これは人間ではなく、もの(素材)のほうに備わっているものです。だから、庭師にとっては、木や石のほうにあるものが「才」で、それを引き出すのが庭師の「能」ということになる。「石の乞はんにしたがへ」は、日本人の「才能」についての考え方がよくあらわれている言葉です。(『日本問答』松岡正剛、田中優子対談集)

 

風呂上がりに、薄暗い明かりをずっと眺める。世の中には大きな流れと小さな無数の流れがあって、大きな流れをどうにかできるとはおもえないけれどそれを知ろうとすること、小さな流れは意識下に置くことを同時にみなければいけないとおもった。薄明かりは、目の前にある。それを見ている僕がいる。また別所では、別の流れがある。

 

簡単にいうと、僕の見ている世界と、それとは別の世界がある。それも無数に。で、その世界がひとつだなんておもうこと自体にもうがたがきているのに、そんなわけないことがわかりきっているのに、それに合わせようとするから、世界じゃなくて、ひとのほうにしわ寄せがきている。幸せを犠牲にして。

 

何でも持っていることやみんなが持っているものを手に入れることが幸せなのではない。自分のほしいものを知っていて、それを手に入れること、目指すことが幸せなのであって。そんなこと誰だって分かっているでしょ。じゃなきゃ、Googleさえろくに使えないし、休日だって、人生だって、ろくに使えないでしょ。ぼくはこれからその先のことを考えている。ぼくはぼくのほしいものややりたいことを知っているから、それらをつなぐ技術を磨こうと思う。

 

地元の祭りの準備中に、亡くなった祖父の話を聞く。今年公開されたピクサーの映画リメンバーミーが頭に思い浮かぶ。(まだ見ていない。)ひとは二度死ぬという。死んだそのときと、忘れられたときと。

4月27日

歴史的な一日。朝鮮がもとのひとつにもどった、1910年ぶりに。国際情勢も、日々の食事も同じで、あれがこうやああやと他人が喋っているのをただ聞いているだけではうごかない。結局の所、ひとりひとりが、それに対してどういう意識を持って見るかによるところが非常に大きい。

 

そんなの自分に関係ないって?そうかな?国民皆保険が破綻したらどうするの?サブプライムローンは世界に飛び火した。ヨーロッパのGDPRは情報鎖国だし、windows95が世界を一変させ、それがいまはスマホに取って代わった。マクルーハンの読みどきな気がしてきた。ギリシャの哲学者タレルのオリーブの話を忘れてはいけない。

 

やはり何を持って何を見るかですね。情報のタネと育った土の状態と育て方と、情報の調理の仕方をはやく学ばねばいけないと強く感じた。いまは情報は簡単に手に入るけれど、手に入る情報をどう手に入れるかを考えている人は少ない。ぼくはもちろん情報を得るために、その情報を発信している人を選び、お金を払っています。タダには気をつけたほうがいいのはいうまでもない。