TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


4月15日

飲んだ翌日は、なにもしない。昼過ぎに起きて、土鍋で作ったリゾットを食べ、砂糖多めのホットチャイを淹れ、ソファに座って、Barakan Beatを聴きながら、本を読む。今日は『鏡の国のアリス』を読み終える。今日は、なにもしない。

 

いや、ひとつやった。毎年少しずつ、習慣を考え直している。少しずつそのときに気になることを調査し倒して、少しずつ実践している。少しずつ習慣を変化していけば、そのうち習慣は大きな変化になることは実感している。思えば、習慣というのは気づかなければどうってことはないが、ちょっとこれってどうかなと疑問を持ったら気になって仕方がない。テクノロジーの進歩により他所とのことを知るのがが容易になったからなのだろう、インターネットとかスマホとかのせいで。

 

思い返してみるとどんなことをやってきたのだろうか。歩き方や体の使い方、呼吸の仕方、食べ物、食べ方、睡眠。今年はもう一歩踏み込んで、食べ物と体の関係について西洋的に調べようと思っている。自分の体のことを自分は知っていると思っているけれど、「それはなんとなくわかっているとおもう」くらいの感覚であって、本当のことをいうと自分の体のことなんてわかっちゃいない。「なんとなく」と「おもう」を重ねて使うくらい曖昧な感覚なのだから。思い込みって怖い。冷静になって考えれば、あなたと僕とでは、体質が違う。だから、同じ食べ物を食べても、体が吸収する栄養はひとによって違う。そのひとにあったものがある。ということで、今日はその一歩目、とりあえずサプリメントについてひたすら調べ倒す。興味深い。今日はそれ以外何もしていない。

4月14日

京都で飲み会の前に、所用をすませる。数週間前に恵文社に行ったときに、名前を忘れてしまった本を確認する。場所は覚えている。書店のドアを開けて、本が平置きされているテーブルの横を抜け、民俗学の棚、植物の棚、山の棚、本についての棚を 越えて、突き当たりの壁にそって並べられてい棚のちょうど目の高さにある目的の本をやっとみつけた。ジョン・ケージだった。ちらっと目次を読む。ジョン・ケージの選んだ10冊というページに飛びつく。ぼくは好きなアーティストや著者の選ぶプレイリストやブックリストが好きだ。そこに、『荘子』やマクルーハンの著書があって、これは読もうと思った。読みたい本リスト、マクルーハン『メディア論』『グーテンベルクの銀河系』、田淵義雄『薪ストーブの本」、九鬼周造『いきの構造』、田口護『カフェ・バッハ ペーパードリップの抽出技術』

 

本を読めば読むほど、読みたい本が出てくる。絶賛、多読中。

4月13日

『鏡の国のアリス』のつづきを読む。あべこべで、ちんぷんかんぷん。言葉ってそんなもんだろう。「りんご」をおもったとき、赤くて丸いともうかもしれない。じゃあ赤くて丸いものはリンゴかというとトマトかもしれない。言葉は曖昧だ。いたって曖昧だ。曖昧なのにりんごといえばあれ、トマトといえばこれと思い込み過ぎているから、世界は息苦しくなる。言葉と言葉の間にはアソビがあるのだから、世界の中にもアソビはあるに違いないのに。名なしの森で、子シカはアリスに名前を聞くが、アリスは名前を思い出せない。森を出て子シカがアリスのことを思い出したらすぐに逃げていく。ネーミングの問題は深刻だ。そうはいいながらいまも、あべこべ、つべこべいいながら、世界は進んでいる。

4月12日

アリスが穴に落ちたように、寝落ちする。今日は鏡の世界へ入る。アリスのつづき、つづきのアリス。『鏡の国のアリス』を読む。たまごがたまごだとおもうのはなぜか、寝ているときに夢に出てくるひとは夢がさめたら消えてしまうのか。言葉はちぐはぐで、世界はあべこべだというのが真相なのに、いつのまにか、ちぐはぐもあべこべも入る隙間がないようになってしまった。そんなのアリスを読めばわかるのに。