TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを
http://www.toshikida.com/


9月18日

台風が過ぎていった。吉野裕子「陰陽五行と日本の民俗」を読み終わる。最後の最後に、「古代日本人が十月を神無月とよんだ背景には『無』に対する認識がある。この認識から二つの重要な彼らの認識が知り得られる。①『有』の前提となるものは『無』。従ってその『無』の確認、『無』の具体化、が必至となる。②『無』の確認、その具現化は、『祭り』を媒体とした『時処の一致』によって可能」とあり、それを読んでじわっと感動している。

 

日本人にとって、無や空は、大切なもの。「なにもないところからなにかがうまれる」「めにはみえないけどでなにかがうごいている」という感覚は地下水脈のように、ぼくたちの外部記憶装置に記憶されている。ひとは想像力を使って、ものに記憶を放り込む。ただいまの世界は、わかりやすいものや過剰な説明が、目の前に横たわっている。けれど、ぼくたちが注視するべきなのは、わかりやすく目の引くものではなく、それを生かす空白にこそある。枯山水で水を抜いたように。そして、その感覚をこそ蘇らせるのは、月のカレンダーであり、星の動きであり、季節の移ろいであるのだとおもう。なぜって、怪しいとおもわれている陰陽五行も自然の移り変わりから考えられたものだから。知らないから、怪しいとおもうのは世の常なのだろう。これはパンドラの箱でもなんでもない。だって、ぼくたちには正月も干支も桃太郎も土用も東京も山の神も節分もひな祭りもあるのだから。ぼくたちの使っている時間や方位には動物が住んでいる。

 

Now playing : Nina Simone / Turn me on

9月17日

台風のため、家のソファでゆっくり過ごす。吉野裕子「陰陽五行と日本の民俗」を読む。19時ごろから雨風が強くなってきた。23時を回ったら、突然、風がやみ、虫の音が聞こえる。聴いていた、音楽をとめる。23時45分、また風が吹きはじめる。寝る直前に、ダグ・ボイド著、北山耕平訳「ローリングサンダー」を一章だけ読む。東洋でも西洋でもその古い文化の背景には、間違いなく自然との関わりがある。ぼくにはどうしてもそれを無視することができない。だから、いま、「日本人とは」のテーマに絞った本を読んでいるのかもしれない。言葉も、時間も、考え方も、民俗も、行事も、日本人は自然の法則の下に生きていた。それはいまも。(注視して見なければ、見えなくなってきています。)

 

「知の探索が目的とするところは『どうしてそうなるのか』を発見して、それを『実際に起こしてみること』にあり、それに比べれば証拠の問題などは、さほど大切なことではない。」(「ローリングサンダー」より)

 

Now playing : MGMT / congratulation