10月18日

ひさしぶりに晴れ間をみる。朝は穏やかで、まさに秋晴れ。空き家の庭の木を切る。ほったらかしになった木が屋根を覆う。その空き屋の家主は亡くなられていて、遠くに住む甥(といってもおじさん)の依頼によるものだった。なんだかかものかなしい。家の庭の木を切るときの様式を知りたいと思った。こうやって昔のものがなくなっていく一方で新しいものはどんどん生まれていく。増えることだけがいいのではない。昔のことが残るだけもよくはないが、このあたりなにかいい決着はないのだろうか。たとえば、宮本常一の『忘れられた日本人』のように、表立った、りっぱに二足歩行できるようなものではなく、口でしか伝わらない、歴史の流れからみると、それがどうしたとおもわれるようちっぽけな潮流だけど、実際にあった事象を拾い上げれるようななにかが。いまのところ、新しい視点というのは師匠のいうように「時」なのかもしれない。