9月24日

練習帰りの午前2時前に、東の空にオリオン座が居座っていた。北の空には、大きな下弦の月が立ち上がる。今日は空に星が綺麗。

 

目の前に猫がいる。猫と見る人がいる。動物と見る人がいる。にゃーにゃーと見る人がいる。アメリカンショートヘアーだと見る人がいる。それぞれのひとが、会話をするとき、そのモノに詳しければ詳しいほど、細かく見ることができる。が、それだけでは会話は成り立たない。ひとによって、見えるものと見えないものがあることを認識して会話をしたい。

 

為末さんの「そしてやる気のない人がやる気を出すかどうかはあくまで個人の自由であって、マネジメントもリーダーもそんなところまで踏み込むべきではないと思う。それは個人の生き方の自由に介入しすぎてる。できることといえば、評価をして合わなければ去ってもらうということぐらいではないか。

 

この入れ替えの仕組みがない集団では、やる気がない人にもやる気を出してもらわないと全体が弱くなるので、仕方なく誰かがやる気を出させる役割を担うことになる。そうすると出させる側が疲弊するか、出させられる側も圧力を感じて嫌になる。円満を目指しすぎて個人はないがしろになる。」

 

ぼくが引っ張る立場のときは、やめようとする人に対して引きとめない。やめたければやめればいいとおもっている。モチベーションくらい自分で作れよと思う。自分が本当にやりたいことを、自分にしっかり問いただせよとおもう。モチベーションをあげることにあまり注視せず、ディレクションを気にしている。何かをやろうではなく、グループが向かう方向を指差すこと。

 

また「都合のいいことしか耳に入らない人に対して、耳を傾けてもらうために自分ができることはあるでしょうか。」という質問に対して、「ぼくならないと判断し無駄な努力はやめます」と。為末さんの意見、ぼくと合うんだよなあ。

 

いまはぼくもそうおもっている。2回くらい真剣にいっても同じことを繰り返す人には、もう頼まない。自分でやる。ということです。だって、人の話を聞かない人に、話してもねえとおもうわけである。でもねえ、このひとにはっておもうひとにはなんども頼むんだけどね。