9月20日

気づけば、朝日は通勤路の正面から上り、夕暮れ過ぎれば真東から大きなオリオンが立ち上がっている。気づけば、ということは、気づかなかっただけで、忘れていたのは、わたしの方で、星の運行や太陽の位置は、せっせと変わり続けている。歴史から学ぶひとは、有事と自然の猛威をセットに考えているはずで、歴史の教科書に載るような大事の影には、天候の影響がある。ゲルマン民族の大移動や明治維新など。

 

仕事を終えて、強い雨の降るなか近くのファミレスで友人と会う。身近な生活(仕事や職場やスーパーなど)のことと、身近じゃないこと(政治や国際問題やWHOやメディアや報道)の関係に無関心すぎだと感じた。(こんな表現好きじゃないけれど)社会的にちゃんとした職業の同年代がこうなのだから、おもいやられる。身近じゃないことは、そもそも、我々の生活に関係のないどこか遠いところで決まるのだから、普段の生活に直結していないのだから、そんなこと知ってどうするのだと、友人は言った。ぼくは驚いた。本当にそう思っているのだろうか。

 

そうか、投票率が低いのも頷ける。投票したって何も変わらないとおもうのも仕方ないし、そのように意図的に仕向けているのだろうと思った。そんなことを知ったって何の役に立つのと、よく聞くが、その姿勢にこそ問題が隠されている。結局役に立つと思うことしかしないその態度には、裏返すと、新しいことはなにもしない、役に立つかどうかわからないことはそもそもやらない。そうなると、普段接しているひとやメディアの影響をもろに受ける。つまり環境がそのひとをつくるというのなら、自分本意になるように、させられていることに遅かれ早かれ気づかねばならぬ。そのためには、ものごとにはいろんな見方があるという経験をしなければどうしょうもないのだろう。

 

なんだかよくわからないものに突っ込む勇気を。