8月31日

今日で8月がおわる。季節にはド敏感なもので、先週辺りから感覚的には秋だった。そろそろビタミンD3とAを飲みはじめて、冬の準備に取りかかろうとおもう。だがまだ、昼から夕方にかけては、Tシャツと短パンが気持ちいいから、残暑を思い、Phum Viphuritを聞きながら、夕方のフットサルの練習へ向かう。夕暮れの帰りは、大城美佐子さんの三線。

 

<人の生はこの世において仮のものである。人はたまたま過客としてこの世に生を享け、人生をまっとうしたならば、この世から消え、またもとのところへ戻る」という思考が隠者のものである。と、本著にある。ということは、人生もまた仮設なのではないか。「あわれ無常な世を冷ややかに眺めると永遠とは変化の相に見られる」>

 

<子どもたちが、自分たちには学力がないとか、英単語を知らないとか、論理的思考ができないといったことを、多少は自覚していても、そのことを特に不快には思っていないという点にあります。>

 

<それは、彼らは「自分の知らないこと」は「存在しない」ことにしているということです。>

 

<でも、この非合理性のうちにこそメンターの教育的機能は存するのです。自分にとってその意味が未知のものである言葉を「なんだかよくわからない」ままに受け止め、いずれその言葉の意味が理解できるような成熟の段階に自分が到達することを待望する。そのような生成的プロセスに身を投じることができる者だけが「学ぶ」ことができます。ですから、一度学ぶとは何かを知った人間は、それから後はいくらでも、どんな領域のことでも学ぶことができます。というのは、学ぶことの本質は知識や技術にあるのではなく、学び方のうちにあるからです。>

 

<下の方の階層の人は文化資本が豊かに備わっている日本人が存在するということ自体を知らない。日本人はみんな「自分程度」だと思っている。「教養のある人」がどこかにいるということがわかっていれば、自分には教養がないということもわかるし、教養を身につけないとまずいということもわかる。>

 

こちらは内田樹『下流志向』より。

 

今冬に上映されるスターウォーズの最新作のトレイラーを見る。近代的なツルツルピカピカの構造物ではなく、砂漠のシーンにぼくは近未来を感じる。ブレードランナーを見ても、アキラを見ても、攻殻機動隊を見てもそうだったが、荒廃した街や場末の雨に、未来を感じる。武野紹鴎の市中の山居、改め、山居の市中を目指そうではないか。