8月10日

仕事帰りの夕方に、誰が歌っているか名前を聞き漏らしたが、ラジオから安里屋ユンタが流れる。たくさんの人がカバーしている歌である。農作業しながら、お偉いさんの噂話を歌っているのだそうだ。車の窓全開の沖縄の三線に、夏らしさ全開の夕方。

 

夕食でおかんが頂き物のワインを開けた。ビンの栓がコルクではなく、手であけられるアルミの栓だった。味はさておき、おかんは、「これじゃないねんな~」といった。オヤジは「固定観念にとらわれすぎ」といった。ぼくはおかんの肩を持つ。「らしさ」は重要だ。ワインらしさは、コルクの開栓が一翼を担っている。

 

ネルマエニ、千夜千冊1717夜『ライティング・スペース』を読む。そこには松岡正剛さんの「これまで」が書かれてあった。

 

ソレカラ、大前研一さんのコレカラのことの記事を読む。日本人は学校を卒業してから勉強をしなくなった、学校の教育は時代遅れすぎると。それに気づいて動き始めたものは、自分で動き始めていると、僕には心地よく聞こえた。

 

この先のことは誰もわからないのだから、確固たる教育方針というのはハンデになりかねない。それなよりも、技術革新が起こった瞬間、自然災害が起こった瞬間、世界恐慌が起こった瞬間、あらゆる有事が起こった瞬間に、すばやく移動できること、変化できることが求められる世の中に我々は今住んでいるとおもう。それなら、いつでも、すばやく移動できるように、健康に留意し、人間関係を見つめ直して、日常を整理しなけりゃいけない。そしてそういう風に今年のお盆をすごそうと思う。

 

ちょうど師匠から「モノを捨て、情報を制限し、健康に気をつけ、我欲を可能な限り乗り越えると、誰でも直感がさえるんですよ」と。