8月11日

盆休みは、師匠の講話を読んでから、スタート。

 

怖がらずに多くを捨て、ご自身の「内なる声・直感」をもっと聞いてください。

 

モノを捨て、情報を制限し、健康に気をつけ、我欲を可能な限り乗り越えると、誰でも直感が冴えるんですよ。

 

季節と天体の運行もデトックスや食事回数に関係があるので、注意が必要です。

 

ご自身の可能性に蓋をしなければ

 

時代は、あらゆるものが、スモールバッチのクラフトから個別のカスタムメイドに向かっていると思いますね。 ぜひ、もう一歩先に。

 

ある日、フト思ったら、なんでもやめられるし、なんでも始められるですよ! ただし、「なんらかの理由」をお探しにならなければですけど。

 

と私淑する師匠より。ほんでもって、ここに抽出したメッセージは、師匠の講話の中から、ぼくのフィルターに引っかかったものである。そのフィルターをデコンストラクションし、要素を眺めてみると、「理由や意味によってがんじがらめの世界にいること」「数字をこそ確実なものと信じ、たまたまや異質が見えなくなっていること」「あらゆる生命活動は間違いなく天体の影響を受けているのに現代人はそれを忘れてしまったこと。(それをゲットバックしようと試みている友人が多い)」ってところでしょうか。

 

昼前に師範代からメッセージが来て、もうなんていうかフットワークの軽さに脱帽する。時間が足りない?物理の法則において、「時間は、距離を速さで割ったもの」と言うように、「時間がほしけりゃ、あなた自身が早くなることね」と赤のクイーンが言うことを、体現しておる。そんな人がいることをテレビやネットでなんとなく見聞きするだけでなくて、実際に出会っていると言う事実が、ぼくにとって刺激的である。

 

昼から、小学校の同窓会に出席。ひさしぶりの面々と話す。ほとんど皆は昔話と今の愚痴が多くて、そんなものなのかとおもった。「髭が生えただけで、変わらんなあ」と言われ、まあ確かに、ハード面はそうかもしれないが、ソフト面はかなり変わったと自覚している。同級生との未来の話はあいにく少なくて、現状の不満をあらわにすることで精一杯、東京にでている同級生はやはり刺激が多そうだった。もっとぶっ飛ばさなあかんなとおもった。もっと軽くもっと早くならなければいけないなと思った。「ヒッピーっぽくなりそう」と言われた。ぼくは、「どっちかと言うと、山伏っぽくなりたい」と言った。面白いことは山中から産まれるのである。

 

持つべきものは私淑する師匠であり、変な仲間であり、かなわないなと思わせてくれる友人である。