5月13日

自分は語らなくとも、ものに語らせる方法がある。モノガタリ。モノには情報がくっついている。ものひとつ掬っても、意識的にまた無意識的に、ひとはそのものからその意味や機能以上のものを、気づかないだけで掬っている。コップを掬ったとする。コップは水を入れるものであり、花を生ける器であり、水を入れれば楽器となり、分量を図るものとなり、棚にあれば飾りとなり、ストレスがたまれば地面に投げつけて発散できる。ものや言葉の意味や機能は一対なのではなく、そういったたくさんの情報が階層的に複合的に複雑に入り組んでいる。朝から暑い。こんなことが思い浮かぶくらい朝から暑い。

 

「動産を手に入れようではないか」と心でつぶやく。

 

井上ひさし『この人から受け継ぐもの』に、「こういうふうに躁とうつがいっしょになっている状態が出てくるというのは天才の証拠です。やはり本気で自分のなかにあるものを外へ取り出そうとするひとは、ものすごく仕事ができる時期と、充電しながらさらにつぎの活動を待つ時期があるというのは、むしろ自然なことです。」とあって、坂口恭平さんも宮沢賢治のようだなとおもった。「賢治の偉かったところは、頂点の時にも、自分の力を過信しないでほかの力を呼び込んで神がかりになって書きまくり、一方で気持ちが落ち込んでいるときには、書いたものを何回も何回も推敲を重ねてきっちり直していくということを地道にやったことだとおもいます。」ともある。坂口恭平さん要チェックです。(井上ひさし『この人から受け継ぐもの』おもしろい!その人のことを知るには、その言葉を発したり綴ったりした人物のこと、その言葉が使われた状況のこと、その言葉のルーツや背景のことを知っておかなくちゃ、意味が違ってくる。井上ひさしさんはテーマにしたことの膨大な資料を集めて読み込んでから文章を書くひと。)

 

16時過ぎに、西の空で雷がゴロゴロ鳴る。黒い雲が近づいてきた。突風が吹き荒れ、強い雨が降りだす。不安定な夕方は夏のようで、それは東南アジアの夏のようだった。夏はだいたいサンダルをはいているのは、おしゃれでもなんでもなく、突然の雨に一番有効だから。帰宅して、倒れるように寝た。起きたら3時だった。体はまだ暑さに慣れていない。Viva!南国日本!