5月12日

空っぽを満たすことではなく、からっぽの余白を残しておくことで、その空白が成長していく。

 

『老子』の第十一章は次のような一文である。「三十本の輻(や)が一つの轂(こしき:車輪の中央にある車軸を通す部分)に集まっている。轂の真ん中の穴になったところに車の動くはたらきがある。粘土をこねて陶器を作る。陶器のなかの空っぽの部分にものを容れる使いみちがある。戸やまどをくりぬいてその奥に居室を作る。その何もない空間に部屋としての用途がある。だから結論をいえばこうだ。すべて形有るものが役に立つのは、形無きものがそれを支える役割を果たしているからだ。」

 

風呂上がり、夜風に当たる。空には半分の月。米を洗う水は冷たくない。食卓は筍で溢れる。昼間は半袖に短パン。

 

「指導者層の情報量のなさですね。それから、情報を集めようとしない、その怠惰さ。そういうことが結局、国民を追いつめていくということを、これは、丸山先生(丸山真男)もあちこちでお書きになっています。まず判断するにはできるだけ情報を集めなければいけない。偏った情報ではもちろんいけなくて、できることなら敵の情報をたくさん集めて、それを分析して活かしていくのが外交です。」(井上ひさし『この人から受け継ぐもの』より)

 

問題にぶつかったとき、たまたま目にした日記に似たような境遇のこと、その問題とどう対峙していったかが書かれてあったら、だれかの助けとなるのではないか。かつてのぼくのように。万人には役に立たずでも、書き残しておくと誰かの目に止まり、助けの種となればいい。

 

春先まで通っていた学校の次の過程に先立ってクラスメイトが進んでいる。(僕はこの秋に進む予定だ。)その経過を聞いていると、「ひええ」と叫びてんやわんやのようだ。欲しいものは簡単には手に入らない。価値あるものはタダじゃない。これとおもったものには、時間もお金も惜しまずに、えいやっと飛び込まなきゃその先は見えない。「もっと実用的な知恵と知識を、いまのうちに!」と師匠より。