目にはさやかに見えねども
自分は語らなくとも、ものに語らせる方法がある。モノガタリ。モノには情報がくっついている。ものひとつ掬っても、意識的にまた無意識的に、ひとはそのものからその意味や機能以上のものを、気づかないだけで掬っている。コップを掬ったとする。コップは水…
空っぽを満たすことではなく、からっぽの余白を残しておくことで、その空白が成長していく。 『老子』の第十一章は次のような一文である。「三十本の輻(や)が一つの轂(こしき:車輪の中央にある車軸を通す部分)に集まっている。轂の真ん中の穴になったと…
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