5月14日

「祖父と、熊撃ちに行って、それを端で見ている。熊は瀕死のところで、祖父の銃は玉つまりをおこし、トドメがさせない。ぼくは家へ帰り、ナイフを持って戻ってくると、祖父はもういなくて、熊もいなくて、別の猟師が熊を食べていた。」という夢を見た。

 

祖父は数年前に亡くなっているし、クマはこの辺りでは見かけないし、なんでもできた祖父だが銃は持っていなかった。夢の設定はぐちゃぐちゃだった。夢はなにを語ろうとしていたのだろうか。ひとまず記録しておく。

 

昼過ぎから、シビシビ雨が降りはじめた。今日は肌寒い。

 

オヤジ世代が、若い世代の話についていけない話をよく聞く。話についていけていないひとがいるなか、そうじゃない人もいる。その違いはなんだろうか考える。その世界の言葉を知っているかどうか、知ろうとしているかどうかではないかと考える。世界は言葉によって分けられている。ある特定の世界の言葉とは、まずは語彙数である。ボキャブラリーである。それを覚えたら、その世界の輪郭が見えるようになる。

 

若者世代のことがわからないのは、ほとんどの場合、若者言葉がわかっていないだけである。パソコンがわからないのは、パソコン用語がわかっていないだけである。ビジネス用語がわかってないからカタカナの横文字がわかっていないのである。言葉は、ある出来事や現象の特徴を圧縮し名付けられたものだ。

 

これから、関わっていきたい世界があるなら、ひとまずはその世界の言語や文法を覚え慣れながら、その世界の住人になっていく。そうしてはじめて、見えなかったものが見えるようになる。