4月30日

今日は4月最後の日であり、平成最後の日でもある。明日は5月はじめで、令和元年のはじまりの日である。

 

空海が『三教指帰』を書くにあたり、序文に「ただ憤懣の逸気をそそぐ」と書いたように、平成最後にいろいろを書捨てておく。

 

世界の見方、世界との対峙の仕方=考え方を学ぶ=世界を変えるのではなく、自分を変えることで、不安という苦しみは結構そげる。ぼくは師匠のもとでそういう態度を学び、7年ほどたった。

 

あって当たり前の場所に居座り続けると、なくなってしまったときに(その可能性があるのに)、もう終わりだと思ってしまう。電気がない、インターネットがない、ケータイ使えない、火が使えない、ベッドがない、水がない、食べ物がない世界にいつだってなりうるはずなのに。だから、平時になにもない場所で過ごしてみると、いるもの、いらないもの、なくてもいいもの、あった方がいいものが明確になる。執着をすてられる。本当に必要なものが明確になると、執着をすてられる。

 

結局は、世界と対峙した自分が突きつけた生きる上での前提条件に余白がないせいで、わかりづらいな、んー、思い込みのせいで、生きづらくなるのだとおもう。人間関係や、理想の姿、欲しいもの、損得勘定、いろいろ削げるとこまで削いで捨ててしまえば、時間は生まれるし、人の目も気にすること少なくなる。それもこれも考え方次第なのだ。意識をどのようにコントロールするかという方法は言葉の中にあるとおもう。

 

自分のことを他人事のせいにし問題を直視せず、いま自分が考えていることがすべてでほかの見方を認めず、無知である自分も認めず、自分の世代の夢を子に押しつけ、人前で正直な意見を言えないから陰口をいい、わからないことをわかないといえずに強がり、仕事は各々に決められたことだけをすることだと専門分化になり、気づかぬ間に自分を自分の理想でがんじがらめにしているひとを前に、反抗するわたしは、何もいわず勝手に、飛び出して、同じバスケットに卵を全部入れないようにし、バスケットがどこにいくつあるかはいわないで、ギブギブギブしてテイクするを行動理念とし、損得勘定を否定し、時間の効率と時間の豊かさのバランスをうまくとろうとおもう。 戦わなければいけないのは、世間一般を親切に代表して語る無知な民衆となのかもしれないと思いながら、17時から始まった退位礼正殿の儀をNHKの生中継で拝見する。

 

夜の練習の道中で、ラジオから、Bob DylanのRolling Thundar Review TourのHard Rain's gonna fallが流れている。「ライブ」で「即興」で「カウンター」な姿勢で令和を突き進みたい。