4月29日

平成も残るところ2日。昨日に引き続いて、白洲さんを読み、月刊遊『特集 ジャパネスク』を読みながら、日本人の身につけるべき、日本の見方は、外の目からしっかり学べるはずで、現存する外国人では、ロジャー・パルバースやエバレット・ブラウンやアレックス・カーなのだとおもう。彼らの見方は僕ら以上に日本的だ。

 

平成とは、そもそも日本のこと自信満々に語れなくなった時代だとおもう。僕にとって平成は、日本をどう見るのかを考えはじめた年号であった。語ることと語りかたはとても大事で、これらを合わせてスタイルとすると、ぼくはラディカルな意志のスタイルを持ち続けたい。そのスタイルとは、着るものの素材、言葉遣い、食べるものなど、ぼくは語らなくても、それらが代わりに語ってくれるようにすること。いつだって、言挙げしなくたって、スタイルが語ることが、日本なるものなのではないだろうか。と、そういうふうに日本を語りたいのである。無言で語りたいのだ。あなたはどう語りますか?

 

昼過ぎに、兄貴家族が帰ってきた。3歳と数ヶ月の姪はしゃべる言葉が増えてきた。まだ文字は覚えていない。ものの形や色と、その名前が一致しているとき、いちごならいちごと認識し、いちごーっと叫ぶ。3歳になるとのの「らしさ」を認識できるのである。新発見。