5月1日 令和元年

普段どんな形であろうと社会に籍を置いていると、集合時間が決まっており、家を出る時刻や、寝る時間、寝る前の行動が自然と決まってくる。だから、そうじゃないことをたとえ数日であっても体に覚えさせておく。プチ出遊。

 

ルール1)行こうと思ったときに、えいっと飛び出す

 

7時になったら家を出る。じゃあこれまでといっしょだから、最初の一歩目から、いまだっていうタイミングと気持ちを合わせる。

 

ルール2)行く方角は決めるが行き方は決めない

 

目的地にただ行くだけなら、高速道路に乗れば最短でいけるのだけど、高速道路を降りて、県道でゆっくり走っていると、そこへ行くまでの道中が楽しいことに気づく。昔に作られた道がまっすぐでないのにはちゃんとした理由があり、そういうところに生活の面影が残っている。

 

ルール3 荷物を少なく

 

荷物が少なければ少ないほど、移動が楽になる。最終目標は手ぶら。

 

夜がはっきりと明けた。家を出た頃に降っていた霧雨は、塩津につく頃には、小粒となっていた。あたりは薄暗く低い雲が居座っている。琵琶湖岸に切り立つ山裾に整然と並ぶ家々に塩津が要所であったことがわかる。濃霧の中、緑は生き生きとしている。ここももう春だ。これから、日本海へ抜ける。

 

しばらく薄暗い日本海沿いの街道を通る。霧の中の穏やかな日本海を見ながら、途中山のほうへ進路を変え、明智光秀の娘の細川ガラシャの生誕の地から朝倉氏の一乗谷を越え、曹洞宗大本山の永平寺へ。流行りの令和元年の日付の入った御朱印に並ぶ人たちをよそに、素晴らしい境内の機微に目を凝らす。山肌に建てられた禅寺を時計回りに円を描くように参拝し、帰路を行く。禅のことはをよくわかっていないが、円を描く→中心は空っぽということを参拝しながら意識して行くのではないかとおもった。心を空っぽにしたらそこに何かが入っくる。水でいっぱいのコップにはこれ以上何も入らない。

 

明日は白山へ入るので、その前に、平泉寺白山神社へ。明治の遺恨が少し残っており残念なこともあったが、挨拶をすませた。何事にも順序と作法がある。ここもすばらしい。雨降り苔の参道をまっすぐ登る。鳥居はおそらく白山へ向かっているのであろう、御神体も山そのものなのだろうが、白山は雲に覆われて姿を現さない。挨拶をすませて、神社を後にする。ここは雪の降る頃におとづれたら、なお素晴らしいのだろう。

 

越の国の繁栄の面影はいまも如実に残っている。やばい。福井から石川へ向かう道中は、いまの行政の管理領域の都市をスルーして、山を抜けた。そこには立派な家が立ち並んでいた。近代日本は太平洋側で発展していったが、かつては日本海側こそが華だったことがうかがえる。これだからクネクネ道は楽しい。直感的で体感的だ。そして、この国は天気の悪い日が似合う。積極的な負のくにだ。白山はまだ雲の向こうにある。

 

福井か金沢を抜けて、日が落ちるころに富山の砺波まで来た。途中、加賀の山中温泉で良酒、獅子の里を手に入れた。道の駅で、お酒を探しているのですが置いてますか?と売店のおばちゃんに尋ねると、「これがうまいんやあ」と松浦酒造の獅子の里を勧められた。

 

砺波の散居村はずっと間近でみたかった景色のひとつ。カイニョと呼ばれる防風林に囲まれた大きな屋敷とその周囲を囲む水田が作った景色とその背景を思いながら、暮れる砺波平野の影に期待を寄せて、就寝する。

 

そういえば、永平寺に、山頭火の歌が刻まれた石が並んでいた。

 

しぐるるやしぐるる山へ歩み入る