2月23日

GoogleMapsに頼めば迷わず正確に目的地へたどり着けるのだからなんの心配もいらないなんて、便利な世の中だと思うかもしれない。けれど、場所を知るのと、その場所に入るのとでは、心構えの次元が違う。その場所へ飛び込むのに、えいやっと勇気を振り絞ることだってある。そんな場所って大抵狭い空間だ。

 

二条城の南の住宅地の、一方通行の細い路地の、駐車場の奥の小屋。10隻に満たないカウンター席のみのコーヒー屋である。小さな木のドアを開けると、店内は、明るすぎない照明と、レコードの生み出すグルーブと、コーヒーの発酵臭が混ざっている。この店は現代の市中の山中なのだろうとおもいながら、L字カウンターの角の一人分の空白に通された。そのほかの空白は埋まっていた。

 

すでに出来上がっている空間に、新参者がやってきたときの最初の数分は、縄張りを警戒する動物の醸すような空気になる。場の空気に書かれているルールを手探りで読み取るように、豆を選んで注文し、黙ったまま、店主の手際をじっと見る。グラスに水が運ばれてきた。口に運ぶと、白湯であった。ちょうどいい温かさの白湯を飲んでいると、頼んだエチオピアがミルで粉になり目の前に運ばれてきた。目の前でドリップが始まった。

 

新鮮なコーヒーは膨らむ。数年前に、バッハコーヒーの田口護さんの著書を読んだときのことを思い出した。ドリップの真ん中にトンネルを開けるようにして数秒お湯を注いだあと、今度は全体をなじませ、蒸らす。しばらくして、最初にあけたトンネルに湯を注いで、コーヒーが作られていった。目の前で出来上がったコーヒーを口に含む。やっぱエチオピアやわ、なんて、そんなことわからないけど、その一口で新参者はやっと場に馴染みはじめた。

 

地方都市の幹線道路を車で走っていると、だいたいどこでも、車のディーラーとファミレスと複合スーパーとコンビニが並んでいる。立地のいい場所、つまり、交通量の多いところや、駅の近くなどの人が集まる場所には、結局資本の大きい店しか出店できない。というなら、店の思想は立地に現れているのではないか。住宅地の、一方通行の細い路地の、駐車場の奥の二条小屋には、カウンターな匂いがぷんぷんしている。