8月24日

家を出て、高野山へと向かう雨上がりの朝5時。高野山町は車で30分ほど登った山の合間の平な場所にある寺院町である。そこには不動産も不動さんも路上駐車もコンビニもスナックも、下界にあるものはだいたい揃っていてた。けれど、それは表の姿、目に見える高野山であって、少しの滞在だったのだけど、ここには何かあるぞとしか思えなかった。冥と顕。

 

日常とは違う感覚を得るためには、ある場所とある場所を、ウチとソトというなら、ウチとソトとをつなぐ場所が、茶の湯でいう露地が、アプローチが大事だ。いきなりここからウチですといわれても、切り替えられない。それはあたかも認識のトンネルであり、伊勢神宮は本殿までしばらく歩かなければいけないし、Miho Museumは辿り着くまでに山の急で狭い道を登っていかなくてはいけない。ちょっと不安になりはじめたころに、やっと、門がお出迎えしてくれる。門をくぐればソトからウチへと入るのだ。それは、身体的にも精神的にも認識的にも。

 

高野山までたどり着くのに、谷筋のくねくね道を30分ほど車で走らなくてはならない。ついた先には、山の間の平らな地に神社がずらりと並んでいるのが圧巻。どうしてこんな場所に。われわれは普段、目から得られる情報をおおむね頼りに生活しているが、目の情報ではない、音や匂いや、あるいは不安などを演出することで、違う経験が得られる。ここはなにか違うぞっと思わせること。見た目だけのデザインなんてステレオタイプだけむしりとられて使い捨てのようにぽいっと捨てられる。奥に眠っている「とはなにか」と「そもそも」を起動させねばならぬ。雨上がり、弘法大使の眠る奥の院は杉の匂いと、水の流れと、まとわり付く湿気と、墓石と苔の世界である。

 

アプローチは、服装や道具も、その場所での作法も大事である。お寺の拝み方をぼくは知らなかったから、やはり勉強していくか、宿坊で学ぶかしないと思って、そそくさと踵を返す。道具はある空間を別次元へと移すレセプターであり、作法や順番も同様であり、方法にこそ、その文化の独自性が隠されている。

 

また、時期と時間もそうである。野菜に旬があるように、動物が冬を越すために秋に食いだめをするように、場所にも時機は間違いなくある。どこの観光地も朝10時を回ると人が増え始める。

 

ということで、高野山では、前泊して朝一にお参りするのが有効だなと思う。その際には、必ずガイドをつける。現場からは以上です。