6月22日

通勤の途中、芭蕉の生家の前を通ると、枝が垂れるくらい枇杷の実がなっていた。今日は夏至である。

 

昨日見たボブ・ディランの姿が目に焼き付いている。嗄れ声で歌っていたが、ぼくには体を揺らしながら物語を語っているように見えた。そんな姿に同期しながら、畦の草を刈る。無視考ではないが無意識に体が動く仕事をするとき(あるいは盆踊りのようなダンス)、思考は気持ちよく整理されていく。数日前にタローさんと飲んだとき、ポートランドのgiganticという超うまいIPAにディランの言葉が書かれていた。「Some people feel the rain. Others just get wet. 」世の中は物事の見方がすべてだ。

 

夕食の席。農薬の話になった。家で見かけた農薬が近所のホームセンターの一番目立つところで大々的に宣伝されているもので、ぼくはぞっとした。これはどんなことがあっても使ったらダメでしょと。未来の子供達を犠牲にして、いまの自分の楽のために行うことに価値はないと言ったら、無言になった。おそらく身の回りにそんなこと言う奴がいないからなのだろう。何の知識もなければ、便利で手軽なものに流れてしまうのは仕方ないことだが、それを本当にどうにかしたいとおもっている。まずは身近から。

 

春先に東京に行ったときに訪れたカウンターな姿勢のラーメン屋のオーナーの話。「忙しく働いている人が多く、便利なものがあふれる世の中で、日々の食事を変えてもらう事はとても大変です。私自身も忙しく働きながら家事育児をしていたので、ちょっと夕飯を作るのが面倒だなと思う日もありました。そんなとき、安心して買って帰れる商品がなかったことも、飲食店を始める動機になりました。」と。やってみせるしかない。