12月1日

師走です。時間が加速している。

 

高田漣を聞きながら、現場へ向かう。親父である高田渡のカバーを聞きながら、ああ京都へ行きたいなとおもったのは、高田渡が作った歌が京都で作られ、京都を歌っているからなのだろう。ボブ・ディランは、歌い手は郵便配達員のようなものだといった。歌を届けるのが歌手というのなら、歌自体にさいしょから場所の情景や、感情の色やにおいが孕んでいることになる。事実そうだと思う。

 

ぼくには歌は届けられないから、別のなにか楽しいものを届けられるように、いま試行錯誤している。忙しくも楽しい師走を。