12月12日

仕事終わりに、Chet BakerのMy buddy。明日は雪の予報。

 

事実はひとつだけど、見方は多数。『古事記』は稗田阿礼の記憶を太安万呂が書き記した。じゃあ彼らはいったい何者なのか。いま読んでいる『日本問答』にこうある。「歴史を読み解くときも、どんな個人がそこで働いていて、何をどのように提案し実行してきたのか。そこをつぶさに見て関係をつなげていくという見方が必要です。」彼らがみた朝日とぼくがみた朝日は同じだけど、それを見ておもったことはちがう。当然だ。ビッグデータは正しいが、正しくないともいえる。データを集めた結果、大多数のひとが好きなものが、自分の好みであるとは限らない。ドミニク・チェンさんは「ある人にとっての情報の価値はその情報との出会い方にも拠る」という。ぼくはこの言葉が好きだ。今のところ、AIはまだ完全に個々人の好みをわかっていない。シンギュラリティはすぐに来るのだろうけど。真実はひとつ見方は幾つ?

 

いろいろの本来を知ることが大切だと最近おもっている。。「敬語は他人とのあいだに自分の望む距離をつくり出すことのできる有効な方法だ」と『日本問答』で田中優子さんが言った。はっとした。世界の見方を変える言葉はそこらへんにあって、それを意識していないだけなのだろう。

 

相変わらず、ableton liveを触っている。やっと少し進歩した。Youtubeのチュートリアルのおかげで。