7月7日

ここ数日、空に雲がかかっていて雨が続いている。青空を思い出せない。そういえば今日は七夕だ。午後に昨日のカレーの残りを食べて、やっと松岡正剛『千夜千冊番外録 3•11を読む』を読み終えた。これ、是非是非読んでいただきたい。あとがきにこうある。「そこでとりあえずは、それらの本を千夜千冊しはじめたのだが、綴っていくうちに二つの思いが募ってきて、なんとも切ない気分ばかりが溢れ出したのである。ひとつは、被災地に行かなくてはこれ以上のことは読めない、書けないという思い、もうひとつは、東北を蝦夷の記憶にさかのぼって問題にしないではいられないという思い、この二つだった。(本書より)」これから、地域のこと、仕事のこと、あらゆることを考えていく上で、この二つの視点を常に持っていたい。そう感じるようになったのは、ひとひとりのちからでは到底敵わない大きな力を目の前にしたときだった。「もっと本気で言うのなら、災害とはわれわれがふだん何気なく使っている概念の総点検に立ち会わされるということなのである。(本書より)」

それから、白川静『漢字の世界』に行こうと思ったけれど、こうも長雨がつづくので、高城剛『南国日本』を読んで、今後のサバイバルについて考える。本書を以前読んだのが2014年と記録してある。そこには、「いまの日本のライフスタイルや価値観を抜本的に見直し、急速に考えを変えるか」とあった。考え方や生活を大きく変えるときに、空気で構成されている世間を感じて変わって行くのと、自分で必死になって変わらなければ行けないと自覚するのとでは、大きく結果が違うことを悟った。いまこうして、多くのひとがやらなさそうなことをしていたり、考えたり、やろうとしている(ぼくはそうはおもっていないけれど)ことに、ぼくは自信を持っているのは、自分で考えてきたからにほかならない。


災害が起こると深刻なことばかり報道されるが、こういうときには、具体的な指針を作り、普段から意識して生活するに限る。その指針には、シビアなのものだけではなく、娯楽やリラックスなどのゆとりを入れておきたい。こういうことは余裕のあるうちに、フライングするのがいい。