7月14日

◆今日も午前中働いて、昼に帰宅。家でFeye Websterを流す。最近は、あれがいいとか、これがおすめとか、このアーティストああやでとか、音楽の話のできる友人が少ない。「音楽は、あらゆる流行の先端にある」と師匠は言うし、実際そうだと思う。いまのあたらしい潮流の音楽がどのようにして生まれているのかを見れば、その背景にある社会や世相やテクノロジーがわかるのだから。音楽の話が少なくなっているってのは、音楽好きが減っているというより、現実を生きている人が減っているのではないか。

◆まじめすぎだな。まじめも悪くはないが、それよりもっと、「よくわからなさ」を大事にしたい。正しいことをしようと思うってのはもうそう思っている時点でズレていて、一貫した正しさより、ソンタグが「キャンプについてのノート」を書いているように、メモのようなものを束ねてしか、この時代を表せないのではないか。

◆「このとらえどころのない感覚をいくらかでも掴むには、一貫した議論の筋道らしいものをもった論文よりも、メモのかたちによるほうがふさわしく思われた」。

◆西日の橙を浴びた入道雲にうっとり。