1月7日

水のような一年になるようにおもう。水の思想のような。昨年末からしばらく方丈記の序文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」が頭から離れず、年が明けてたまたま詣でたのが、水の神様を祀る貴船神社だった。そうして今日、『老子』がふらっと現れた。いつだって、老子は不意に現れ、いつのまにか居なくなる。

 

パラパラめくる。手が止まる。

 

上善は水の若し。
水は善く万物を利して争わず、
衆人の悪む所に処(お)る。
故に道に幾(ちか)し。

 

またパラパラめくる。手が止まる

 

天下に忌諱(きい)多くして民いよいよ貧しく、
民に利器多くして国家ますます昏(くら)し。
人に伎巧多くして奇物ますます起こり、
法令ますます彰(あら)われて盗賊多くあり

 

ふむ。ふらっと現れた老子は、世界もわたしも占っているようでおもしろい。老子占い、いかにも当たりそうである。