3月26日

仕事中、ひのき花粉を全身に浴びながら、場所のことを考えていた。考えがぐるぐるめぐるときは調子がいい。

 

坂口恭平の現実脱出論を読みながら、場所についての略図的原型と、編集的定義と編纂的定義をゆるーく考える。場所とはなにか。定量的な場所なら何平米で南向きの窓とか。たとえば同じ場所でも、朝と夜では、休日と平日では時間の流れや雰囲気は違う。お気に入りのレストランも、混んでいるときと、空いている時では、リラックス度合いが変わる。それは、その空間にいる人の意識が、薬味野菜や塩豚の旨味成分が溶け込んだポトフのようにと影響するのだろう。

 

帰宅の車では、毎週日曜日の18時から流れるピーター・バラカンのバラカンビートをインターネットラジオのアーカイブで聞いていたら(好きな番組を好きな時に聞けるのだから、いまのテレビの視聴携帯は時代遅れで、スタジオで編集するということ→演者がまずいことを言っても消せることも時代遅れで、ライブがいまはいちばん気持ちがいい)、Khruangbinが流れた。やっぱりバラカンわかってるなあ。「彼らは60年代70年代の音を演奏していて、それをいまの若い世代が好んで聞いているのがおもしろい」と言った。Khruangbinのれるよ、ぜひ。