8月25日

朝3時30分に目が覚めた。蚊の羽音のせいか、昨夜早くに布団にもぐったからか、それとも月が明るいからか。カーテンの隙間から外を見ると、月が西の空の低い地平にあって、夜が明るい。風はない。

自分は何者か、どこから来てどこへ行くのか。世の中のたくさんの「なぜ」を疑問にしたいだけなのに、あんたはよく考えてるけど、世の中のひとはそんなこと興味ないし、なんてあたかもその代表のふりをしてその場しのぎのテキトーな嘘をいうのはどうなのだろうか。ぼくはただ対話がしたい。答えがほしいわけでも、納得したいわけでもなく、あなたの考えたことを聞きたいだけなのに、あなたの見たものを聞きたいだけなのに。

自分はなにがしたいかわからないや、やりたいことがないというひとに出会う。あらゆる出来事が他人ごとのようにおもい、それを考えないで他人任せにし、世の中みんなそうだからと世間という言い訳を有効にし、問うと自分バカやからの一点張りで、問題は蚊帳の外。人と自然の関係、災害とハザードマップ、日本語と文化、国家の破綻と健康問題などは、明らかにすぐそばにある問題なのに。

できる限り、その問題をいまからでも考えておくと、そうなったときの対応が違い、ピンチをチャンスに変えれるとおもっているから、その話をちょろちょろしているのに、現実離れし過ぎているという認識で、すぐそこの現実なのに、逃避してばっかりだから、てをこまねている。どうしたら、そんな話を聞いてくれるのだろうか。あきらめるべきなのか。話す人を限定するしかないのだろうか。でないと時間は奪われていく一方ではないだろうか。今日は満月に近いからか、少々荒れ気味である。