7月27日

寝ようとおもったら、藤森照信「素材の旅」に手を出してしまった。この本は、建築素材として、土石、草木を扱っていこうと決めた著者の素材探しの旅行記だ、変態的な。

 

たとえば、クリ。クリは土台に使われているのを聞いたことがある。青森県の遠野では、柱から板まで使っているという。使うのは、100年生以上のもの。材をとるクリは、標高の高い寒い場所のもの。クリは枝が横に広がって成長する。だから材として使うクリは、上に成長する楢に囲まれて、あまり横に枝を張っていないものを選ぶという。こんな話がこの本にはいっぱい詰まっているから、とまらない。

 

それから、ふと、村上春樹の「職業としての小説家」の一節を思い出した。「イマジネーションというのはまさに、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。」これだから、本を読むことが大事なのだと、実感する。「この先の未来で、役に立つかどうかわからないことをよくやるよね」と言われることがあるけど、先の一説や、ジョブズの話を信じれるのなら、やるべきでしょ。先のことなんて誰にもわからないんだから、楽しいことをすべきだとおもう。

 

いろんな本に出てくる文章を辿るように試してみることもあるし、シンガポールではこうしていたなということを試しにやってみようとおもうし、あのおじいさんの言葉遣いきれいやったなあ「いただき」と拝借することもある。脈略を欠いた断片的な記憶を、こうして、ぼくはぼくのキャビネットに放り込む。

 

いやー、つながっておる。言葉も、建築も、文化も、行動も、仕草も、すべて同じ、道の上にあって、密接に繋がっているようだ。目に見えないけど。知ることで、もっと知りたくなるし、見るものの、味方が変わっていくことを知るのは楽しい。