7月5日

夕方、AmazonからsoundpeatsのBluetoothワイヤレスイヤフォンが届いた。早速、装着して、電源を入れたら、power on connectedとナビゲータが言った。その瞬間、脳裏にブレードランナーが去来した。ブレードランナーは僕が好きな映画で、原作はフィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」だが、小説と映画は全く違う。

 

夜に、そのブレードランナーを見る。デッカードを屋上に追い詰めた、ロイには寿命が迫っていた。屋上から落ちそうになるデッカードを助けたロイは、 All those moments will be lost in time, like tears in the rainと言った。今日の昼間に読んだ『千夜千冊番外録 3•11を読む』の正剛さんが能の解説をするところがフラッシュバックする。

 

「ワキは、実はシテの無念さや残念をはらすためにいるわけなのだ。そればかりか、ワキはシテたちの思いを遂げさせるためにいるのであって、ワキこそがこの一曲の能をつくりあげたのである。物語を再生したのはワキだったのだ。ぼくはこういうことを思い出しながら、東北大震災においては、ひょっとすると異界や幽明に行ってしまった者の魂を鎮め、その無念と残念をはらすワキとはほかならぬ生き残った被災者たちであり、残された者たちの役割であろうことを、うっすらと直感するようになった。」

 

ブレードランナーの画面の中ではずっと雨が降っている。今日も朝から雨が降りつづいていた。それは荒廃した世の中にレプリカントが紛れ込んだせいか、それとも、倫理の壁と情報格差のせいなのか、それとも、ディックの思惑なのか。明日も一日中降り続く予報。降り続く雨を受け入れる余白が世界にヒトにあるのか。