6月26日

自分で選んで手に取った本を読むのはいい。好きなものを選ぶのは、語り口や読後感が本によって違うから。食べ物の好みはひとによって違うから、それぞれが好きなものを食べる。が、読書に関してはみんな同じものを食べなさいといわれている状態のようにおもう。そりゃそれが好きなひともいるし、嫌いなひともいるわけだ。

 

自分の本の好みがわからなければ、本を好きになれないとおもう。ラーメンみたいな本があって、そのなかには、豚骨醤油ラーメンのような本、あっさり塩ラーメンのような本、チャーシューが絶品のラーメンのような本、スープと麺とメンマのバランスがとれたラーメンのような本、サイドメニューの方がおいしいラーメンのような本がある。

 

食べものは、食べなくては生きていけないから、食べることは無意識でもする、だから考えるのは好みだけでいい。食べものの好みを見つけるとき、食べものはすでに口に運ばれている。一方で、読書の好みを見つけるには、読まなくてははじまらない。図鑑にしろ、小説にしろなんでも、本を読むには、なにかを知りたいとおもう動機と読む時間が必要だ。本は読まなくても生きていけるけど、ひとは食べなくては生きていけない。その違いは大きい。いろんなものを食べなきゃ、好みがわからないように、いろんなものを読まなきゃ本の好みもわからない。と、多読期間中のぼくはおもう。

 

昨日に続き、松岡正剛「日本という方法」を読む。大まかな時間軸に沿って、「オモカゲ」と「ウツロイ」をキーワードに日本を読み解かれています。今日読んだ本居宣長の章がおもしろい!そして、いまは午前2時。もう寝る。おもしろすぎて、おもしろすぎて、時間があっという間に飛んでいった。