TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを
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5月23日

今日はあまり調子のよくない日。こういう日は無理やりポジティブになろうとせず、そのままなにも特別なことをしないようにしている。

本日は理屈っぽいなといわれた。理屈っぽくないひとに。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ことの発端は、食べものなんてなにを食べたって同じだと言われたから。ぼくはそうおもっていないので、そうじゃないともちろん言う。食べることってめちゃめちゃ大事だとおもっているし、なにを食べるかによって、性格や賢さ、なんなら幸せなんかにも、関わっているとさえおもっている。

ひとがなにをどうおもっていてもいい。ひとによって味覚が違うようなものとおなじで考え方も違うから。だけど、あなたがそうおもっている理由が、みんながそうおもっているからというあるようでない理由をぼくはやめてほしい。ぼくはそれを聞いたときに、はなすのをやめた。あなた自身がなぜそれをそうおもっているのかをぼくは聞きたい。

ぼくははなすのが好きだし、あくまでもぼくの勝手気ままなことを話すのだけど、そのときには、ぼくの経験から得た私見を話すようにしている。みんながどうおもっているをあなたの言葉で聞きたいのだ。一次情報が知りたいのです。そんなひとに向けて、ぼくはブログを書いているわけだ。

さて振り返ってみる。なんでぼくがこうなってしまったのかのか。やはり、自分がおもっていたことが、そうじゃないこともあるのだ!ということを知ったからだ。その小さなきっかけは壁に打ち込んだクサビのようで、ヒビができて、そのヒビが次第に大きくなっていったとき、ぼくは機能としての英語を学んでしまった、たまたま運よく。(これは、片岡義男「日本語の外側へ」を読んでもらいたい。そのうちブログで取り上げようとおもっている)そのとき、以前からヒビの中で育ていた種の芽が顔を出す。自分の考えを感覚を体験を大切にしなきゃと。それから、その種を育てるのに、どうしようかと悩んだ。ぼくが種の水や土あるいは太陽として、選んだのは、気になる人に会いたくさん話を聞くこと、たくさんの本を読むこと、ぼく自身が面白い人になろうとすることだった。ただただ、たくさん本を読むわけじゃなくて、自分の好きなことや興味のあることをテーマに据えて、そのテーマの本をまとめて一気呵成の読むことだった。種は上手く育っているようにおもう。いつ花が咲いて、新しい種ができて次代に引き継ぐのかは、振り返ってみなければわからないから、いまも水をやりつづけている。長々となりましたが、きょうはそんな日。ぼく自身前々から気づいていたけど、ぼくはぼくの気のあうひとにしか、優しくできないし、それでいいとおもっている。ぼくには友だち100人とは仲良くなれないけど、その中の数人とはめちゃめちゃ仲良くなれる自信がある。そのひとたちって、本当に感性が豊かで、敏感な感覚を持ち合わせているから。ぼくは、「このひとだ!」に対するアンテナは敏感だとおもっているし、なによりぼくはラッキーだ。