5月25日

◆梅雨の合間の晴れ間に吹く風がなんとも心地よい。緑は太陽をありがたみ、すくすくと空へ夏へ向かっていく。夕暮れの慕情を、室内の蛍光灯で汚したくはない。限界まで電気をつけないで、風を感じる。暮色を感じる。

◆集中力をかなり必要だが、高山宏『近代文化史入門』がめちゃおもろい。一日一章。ピクチャレスク!オスカー・ピーターソン・トリオの『Night train』を聴きながら。

◆いのっちの電話で毎日聞いていると、問う力がないひとが多いようだと、恭平さんのつぶやきから感じる。絡まり合った問題はそのまま解こうとせずに、ひとつひとつ分かる部分を手に取っていけばいいのに。うちのおかんもそうだ。第一に学びは人の中にしかないのに、学校や制度に求めすぎているのだいけない。このひとから学びたいって思えるひとを見つけるのが先決。そのひとはテレビの中にはいない。だいたい図書館や本屋やストリートにいる。質問する型、見る目、数寄、センスは、ひとからしか学べない。

◆ぼくが女性なら、mamekurogouchiを羽織るだろうな。

◆気になる言葉、「両具」。文字ではなく口語的。文字は限定的。口語は両具的。同音異義語。当て字。言い間違い。これらから生まれたものは、正誤的判断においてはすべて無になるが、起点として捉えるならば、新たな地平や想像力を喚起するキッカケとなる。日本が7世紀まで文字がなかったというのはおもしろい。そして現在、両具的な価値が増大してきている気がする。これは17世紀に起こり、また20世紀にも起こった。シェイクスピア