3月11日

今年に入ってから本に潜り込む日々を送っている。潜水しながら得たものをメモしておく。贈与は相手から受けとることが先決。なにをやっていかかわからない事柄こそが学びであり、学んでいる最中である。訓練しなければ見えない世界がある、知らない世界を存在しない世界だなんておもわないように。続けることでしかみえないものもある。

 

10年前のおよそどうにもできない自然の猛威が、「わたし」のOSを強制アップデートした。晴れた14時のグランドで高校生にサッカーを教えていたとき、東北でそんなことが起こっているとは知らなかった。家に帰ったのが16時ごろ。テレビの画面越しに、映画のような津波が土地を飲み込んでいた。

 

それから半年後。なかば強引に仕事の段取りをつけて東北へ出向いた。仙台市気仙沼、その場所は、「わたし」の思考を大きく揺さぶった。その場所に立っていなかったら、そんなこと口にしなかったであろう。言葉を口にした。白川静『漢字の世界2』に「ことばは、いわば内在的なものを顕在化するはたらきである。内在的なものが、ことばによって客体化される。それは自己から(はなす)ことであり、それに形象を与えて何ものかを形成すること、すなわち(かたる)ことである。ことばとして客体化されたものは、自己の制御をはなれる」とある。

 

それから10年が経過した。当時の「わたし」がいまの「わたし」をどうみているかはわからないが、いまの「わたし」から当時の「わたし」を見ると、あのときあの場所で口にしたことばが形としてあらわれている。「生きる力を身につける」、「おもしろい人間になる」、「変な人と出会う」であった。そして、この先に、「人の役に立つ」、「返済の必要のない贈与」、「つくるをつづける」を加えたい。

 

あのときにことばにした方向に向かっていることに驚きはしない。これからやろうとことばにした世界が形にあらわれるであろうことにも驚きはしないだろう。ことばは単なる音声やその連続ではなく、実体をもつのだから。