11月9日


ドアを出て、車までの数十歩の間に、冬の訪れを感じる。日差しは温かく、風は冷たい。朝の気温は10度。もう冬はそこまで来ている。

最近は、清水真砂子『子どもの本のもつ力』と鈴木大拙『禅』を平行して読んでいる。

百丈涅槃が、野良にでて働いてこい、その跡仏法の問題を問こうといった。僧たちは言われた通りにしたあと、また説法を聞きに戻ったら、師は、一言も言わずに、ただ僧たちに向かって両手を拡げた。

「実体は同一のものである」(鈴木大拙『禅』より)

仕事中に喉元まで出てきていたのに思い出せなかった文章が、家に帰ると思い出した。アレックス・カー『もうひとつの京都』に、道元禅師の「遍界嘗不曾蔵(へんかいかつてかくさず)」という言葉が出てくる。これは、「この世に隠されているものなど何もない」という意味である。

また同書に、荘子の「采真之遊」という言葉も出てくる。これは、「すべてを論理的に説明できるような哲学は面白くない。人生の途中で出くわすちょっとした出来事にこそ真実がある。道端の小さな草花を摘んで持ち帰るように、日々のちょっとした出来事から一縷の真実を摘み取るのが楽しいのだ」という意味である。

我が師は、「真実は一つかもしれないが、その見方は多面的だ」と言う。モノゴトは変わらない、変わるのは「わたし」の見方なのだ。

松岡正剛さんが、「本の中には何でも入っているのに、その広い世界と自分の世界とが結びついていない。だから本はつまらないと思い込んでいるのです。」と言った。

夕食に酒粕鍋を仕込みながら、レモンシロップを初めて作る。はじめてつくるときには、最高のものを用意する。満月採りの有機無農薬レモン、地元近くの百花蜂蜜、精製度の低い砂糖で。明日は塩レモンを仕込む。

さて、今日も『禅』と『子どもの本のもつ力』を読みながら寝る。