11月1日


雑誌SWITCHのコムデギャルソン特集2冊を読む。川久保玲が繰り返し言っていること、「常に新しいものをつくる」「わくわくすること」「テクニックでは駄目で、思想、哲学をきちんとしないとね。テクニックではなく大切なのはディレクションです。前のものをなかったこととしてはじめる。価値観の否定です。新しいもの、見たことがないものへ。違う表現をしたいです。」「いろいろ違った言葉で言い換えることが、時には必要なんです。」「こちらでひらめいたこと、あちらでひらめいたことをゆっくりとたぐり寄せる」

網野善彦『「日本」とは何か』から百姓について調べる。いま百姓と聞いて農民のことがと思いつくのは、そう世間で捉えられているというだけ。過去の記録を読み解き現地に実際に足を運ぶと、違和感がふつふつと現れる。現実はどうやら現実離れしているようだ。

田中優子『江戸の想像力』を第5章「愚者たちの宇宙」をぱらっと読む。上田秋成の『春雨物語』の10のエピソードを取り上げて、列挙のパワーを感じる。本の裏に値段の書かれたラベルが貼ってあった。上田のNABOで300円で購入していた。

近江八幡のサウナで整えにいこうとおもったが、財布にお札がなかったので諦めた。現金とは機会損失か。

田舎に住んでいて何もないと思っていたが、ないということは、作ればそれを求めている人がやってくるということではないか。見えないというのは存在していないのではなく、見えていないだけ。本当にいいものは時間はかかるけれどいいとわかるものだ。