5月6日

本を読みすすめていると、ある言葉に出会う。そのとき、われわれは、読んできた文脈のうえで、その言葉を咀嚼する。非自己がなければ、自己はない。このこと、免疫の仕組みと繋がっている。

 

昨夜寝る前に読んだ、「われわれのコミュニケーションにおいては、メッセージを交換しているのではなく、エディティングモデルを交換しているのだ」の一文が、ずっと頭の中で響いている。

 

新型コロナウィルスによって、不要不急なものは実は普段も必要ないことがわかってきた。ということは、いま必要なものは、本当に必要なのだろう。この有事でふつふつと沸き起こったた感覚を、忘れない。

 

外出できないかったり、働く時間が短くなったりで、余裕が生まれた。忙しさのあまり(忙しいふりとオールドファッションの社会システム)、小学生の夏休み以来、手にしたことのない暇に、両親は最初は戸惑っていた。が、いまは近所の人と会話をし、余ったものを譲り、畑仕事をするようになった。

 

今年のゴールデンウィークは、食材を買いに出掛けたのを除いては、どこにも出掛けていない。外出できないイライラはなく、友人に会わない切なさもない。大半の時間を読書に当てた。1000円前後で買える本のなかの著者と叡知に出会った。

 

食後少し休憩してから20分走る。丸い月の浮かぶ雨上がりのの夜空は泣いたあとの心のごとく澄んでいた。気持ちがいい。帰宅して風呂に20分浸かり、キンキンに冷やした緑茶を一気飲みして、ストレッチ。松岡正剛『知の編集工学』を読み切り、意味と活字の日々から一時的に解放するために、寝る。そうそう、探していた瞑想のための最適ミュージックを見つけた。ますます、整うな、こりゃ。