5月1日

最近ランが続いているのは、明確な目標があるからではなく、気持ちいいからなのだと思う。前まで30分走るといった具体的な目標を掲げては三日坊主だったのに、いまは、とりあえず走りたいだけ走るスタイルで、継続している。身体の声の発する目標は、気持ちよさだけなので、走っていると気持ちいのは当然といえば、当然なんだろう。

 

技術がある。木を切る、車を運転する、字を書くなど。現時点でぼくは、3つの視点で技術を見ている。字を書くを例にする。一つ目は、字を書くことができる。二つ目は、中身のある字を書く。三つ目は、方向の定まった中身のある字を書く。目指しているのは、三つ目である。

 

字を綺麗に書くことができたとして、その書いた字の中身を気にしたいのだ。中身の方向を第一に考えながら、その中身を決め、字を書けるようになりたい。まあ、なにがいいたいかといえば、ただ働く、質を高めるように働く、そして、先見性の次を考えながら働く、の三つの視点が仕事にあって、3番目のスタイルで仕事をしたい。

 

17時前に帰宅して、風呂に20分浸かって、ストレッチと瞑想。あたりはまだ明るい。開けた窓から入ってくる風はまだ夏のものではない。日中の気温は25度を超えていたけれど、夕方には落ち着いて、パーカーに半パンの格好でくつろいでいて、ああ、この季節がこんなに気持ちいと感じられるのは、日々に余裕が生まれたからなのだろうな。今日も、呼吸を整えて、コロナ以前の生活に何の執着もないなと、おもった夕暮れであった。

 

寝る前に、4人で初Zoomミーティング。会話は十分にできるし、隔離されていても、話が伝わるのだからいろいろ事欠かない。テクノロジーは、動画を多数にほぼディレイなく(まだ、動画の中のfpsの高い動画を送るときは、コマ送りなのだけど)送信できるようになったのだな。これからのコミュニケーションがこちらの方向に向かっていくのかは、わからないが、ひとつの手段としてはいい。とはいえ、息遣いや隣のグループの脈絡のない会話などのゆるい妨害を実装してほしい。

 

なにをやっていても、目の前のことが100パーセント明確だなんてことはない。注意が目の前のことに向いている一方で(いや、それもあやしいが)、その他の雑音は拾っていて、雑音だと思っているものも、大切な要素なのだとおもう。とどのつまり、ゆらいでいたいのだ。

 

4月終わり、5月がはじまった。