4月27日

カーラジオから流れるmore than thisを聞きながら、現場へ向かう。風のない朝の澄んだ空気の、4月最後の月曜日は、人影がまばらである。ときおりみる、見知らぬ家族の距離感は以前より縮まっているようにおもえたのは、日常の選択肢が限定され、飽き、小さな大事なことに目を向ける余裕が生まれたからだろう。

 

ドミニク:僕はときどき、こういうことを感じるんですね。あまりにも分類されて、確定的に記述された情報に触れて生活している現代人でも、情報をシャットダウンして無人島のような自然の存在感が圧倒的な場所に数日いるだけで、身体感覚が変化して非言語的な思考形態(直感)を獲得したりするということがあります。
松岡正剛、ドミニク・チェン『謎床』より)

 

余裕が生まれると、これまで目をつむってものへと、気を配れるようになる。いま、対峙しているのは、コロナウイルスによって見えるようになった、コロナウイルスを覆う壁である。世界はひとつではなく、世界は多面的である。そんなことに気づく人が増えればと切に願いつつ、坂口恭平『現実化する脱出論』をすすめする。

 

少し落ち着いたとおもって生まれる油断につけこんで、さらなる蔓延へ向かうであろうコロナウイルスの第2波に備え、多次元な世界をまたぎ粛々と準備をする。結局のところ、有事に、素早く動けるかどうかは、準備しだいである。有事はいきなりやってくるのだから、平時の準備がものをいう。平時の準備では、心身が健康である、無駄なものや情報を削減する、人間関係を整理する、に注力する。

 

みなさまが信じておられる数字ってそんなに信用できますか?今日も、風呂に浸かり瞑想し、ひとの役に立つことを考えながら、いろいろを考える。ひとつは、相手の話を与件とし、その話を如何におもしろく、なおかつ、私を消して、返答するかのトレーニング。ひとつは、文章を書くトレーニング。

 

平時の準備がものをいう、と、今秋ごろからはじまるであろう破綻に向けて、半年前に記しておく。ぼくはというと、4、5年前から着々と進めてきてはいるのですが。