4月9日

マスクがない、などをのぞいて、ここ野山の里は平常運転である。殺伐もしていない。桜はきれいに咲いている。行き過ぎた資本主義の反動なのか、どうかは、わからないが、穏やかである。昨日のコロナウィルスの患者は、500人を超えたようだ。

 

この穏やかな季節の花の香りを嗅ぐと、この人生をどう全うしよう、なんて考えが、冬を耐えしので超えた蕾のごとくぷっくりと膨らんで、暖かな日に弾けるように、突然現れて、僕に居座る。

 

昨日に続いてすばらしいお宅の庭の木の伐採。このお宅の庭は、庭というより里山で、家主に話を聞くと、この土塁の上に咲く草花は、山や野で採れるものしか生えていないという。

 

土塁の背丈くらいの椿を頭を潜らせて通るときの甘い匂いは、春を喚起させる。春だから椿の匂いがするのではなく、椿の匂いがするこの瞬間を春と名付けているのだろうとおもう。朝の空気は濃密である。科学的にいえば、冷えた空気は密度が高いということなのだろうが(よくわからないが)、そんなことほんとうにどうでもいいくらい、この春の甘い匂いのかかった濃厚な、そして、「はっ」とするような空気がたまらない。

 

大学サッカー部のチームメイトが、携わったWebデザインをSNSにあげていた。マウスの動きに合わせて画面が連動する仕組みなどの振る舞いによって、人がどう感知するのかの説明であった。その文章を読んで、なんだか虚しさを覚えた。Webサイトの振る舞いをデザインするってのはすごいのだけど。

 

ちょっとまえにあったワールドモデルは崩壊し、新たなワールドモデルが生まれようとしている。春の早朝の濃厚な空気のような、移行する世界の間を動く、いいようのないなにかは、ひとの感触でしか感知できない。目には見えないし、名前もついていないから、その世界はまだ人々の言語世界には立ち現れていないのだけど、間違いないのは、すでに、認知はしていて、名付けられるのを待っているのだ。これまでカッコいいと思っていたものが、虚しさに変わったという感触を、僕は逃さない。資本主義やグローバル経済、民主主義の先に、突入するための通過儀礼として、いま、自ら自己破壊へ突き進んでいるのだろうか。

 

集団は危険にさらされると国家権力から離れた次の位置へ移動して、中心地帯が好ましい状態になると移動の過程は逆になり、交易や国家の保護下で、得られるさまざまなメリットを享受した。

 

伝染病の流行に対して最も安全な対策はすぐに町を出て地方や山地に散らばること。分散と隔離が病の流行を遅らせることには気づいていた。山地民は平地を健康に悪い地だと見なしていた。イロゴト人は伝染病が発生するやいなや山地に帰って散らばり道を遮断した。疫病は人口の大規模な移動を引き起こした。

 

 

(ジェームズ・C・スコット『ゾミア 脱国家の世界史』より)

 

寝る前に、『赤頭巾ちゃん気をつけて』を10ページほど読む。師範代が、「今の状況をぬきには読めませんね」と言った。つづけて、松岡正剛『多読術』を、本とわたしを、歴史的現在に立った目線で捉えながら、読む。

 

 

ーーーーー

4月9日12時時点で、国内で今般の新型コロナウイルスに関連した感染症の感染者は4,768例となりました。
内訳は、患者3,109例、無症状病原体保有者396例、陽性確定例(症状有無確認中)1,263例となります。国内の死亡者は85名です。
また、国内での退院者は53名増加し、685名となりました。

【内訳】
・患者3,109例(国内事例3,069例、チャーター便帰国者事例11例、空港検疫29例)
・無症状病原体保有者396例
(国内事例335例、チャーター便帰国者事例4例、空港検疫57例)
・陽性確定例1,263例(国内事例1,263例)
日本国籍の者2,450名、外国籍の者48人(他は国籍確認中)

ーーーーー