4月1日

 今度の流行に意義を与えるべく、努力してみることだってできる。この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか、このあとどんな風にやり直したい?

 

 日々を数え、知恵の心を得よう。この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない。

 (パオロ・ジョルダーノ『コロナ時代の僕ら』より)

 

4月が、新年度が始まった。コロナウイルスは続いていて、勢いは増している。その波及のすべてを目にできない、目に見えていることはほんの一部である。著名人が感染しはじめ(発表がなされはじめた)、その勢いは地方へと進んでいる(著名人でなくとも感染している、しかし、検査は充分に割り当てられていない、見えていない)。

 

数週間前にアマゾンプライムで見た『コンテイジョン』そのものである。いや、映画はハッピーエンドに向かっていたが、日本のシナリオはあまり良い方向に向かっていないのではないのかとおもってしまう。そうおもうのは、映画を他所の火事だとみなしていたからだろう。現実の火事はもうそこまで実感を連れてきている。

 

お国の指針を伺いつつ、自身の指針を変幻自在なものとして生活しなければならない。ふたつの間の違いは、「考える」、「想像する」を孕んでいるかどうかである。

 

ひとまずは、食べ物の確保だろうとおもい、固定種のタネを注文した。つぎは、メンタリティである。まあ、このあたりは、慣れっこではある、いまのところ。

 

仕事上、雨が降れば休みである。が、当日に雨が降らなければ、仕事はある。つまり、判断するのは当日の朝である。寝る前の天気予報の降水確率が高かったとしても、朝に雨が降っていなければ仕事に出かけなければいけない。そう、明日は雨だとおもって寝た翌朝が晴れだったときの落胆は大きい。休みだと思っていたのに。だから、考え方をマネージする。常時、降水確率が高かろうが、晴れると思って朝起きるようにする。すると、落胆はない(いや、少ない)。心は、晴れると思っていたのに、雨が降って休みだ、ラッキーとなる。

 

仏教のコンセプトのひとつは一切皆苦である。すべては苦しみから始まっている。そのことをOSに組み込んでおくだけで、辛さに対峙できる耐性を得られる。目の前で起こった苦難に、心は揺さぶられるだろうが、折れることは少なくなるはずだ。

 

目の前で起こることはおそらくひとつであろうが、その見方は多面的である。だから、問題はそれにどう対峙するか、どういう見方をするかだ。世界の中の登場人物であるわたしによって、世界の見え方はいつだって変幻自在なのだ。いま、世界のそぶりが、われわれのメンタリティを揺さぶり、有事の気構えや行動に転嫁されている。

 

この不意に生まれた時間をどう過ごしていくか。有事の際になってからでは遅かったと、コロナは告げている。

 

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厚生労働省HPより

4月1日12時時点で、国内で今般の新型コロナウイルスに関連した感染症の感染者は2,178例となりました。
内訳は、患者1,623例、無症状病原体保有者244例、陽性確定例(症状有無確認中)311例となります。国内の死亡者は57名となりました。
また、国内での退院者は48名増加し、472名となりました。

【内訳】
・患者1,623例(国内事例1,594例、チャーター便帰国者事例11例、空港検疫18例)
・無症状病原体保有者244例
(国内事例202例、チャーター便帰国者事例4例、空港検疫38例)
・陽性確定例311例(国内事例311例)
日本国籍の者1,155名(これ以外に国籍確認中の者がいる)

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