10月19日

暑くも寒くもない。半袖と長袖のシャツが代わる代わる。金木犀の匂い付きの雨が降る。無風の雨はまっすぐ地面を叩きつける。雨が降ってきたことに気づいたのは、ザーッとした音がしたからだ。雨の音は雨の音じゃない?雨何かに当たった音だ。屋根、アスファルト、木々。雨の音は雨の音じゃない。雨が当たった音。外は薄暗い。風が吹いてきた。風は見えないのに風が吹いてきたことはわかる。風は見えないが、風だとわかるのは、風がいろいろを揺らすから、飛ばすから。木が揺れ、葉が飛ぶ。訪れとは、音連れである。音を運んでくるものである。音連れは、もともと神様がやってきたことを示す言葉で合ったそうだ。友人の家を訪れる。足跡の音もいっしょに。そんなとき、われわれは、足跡を連れていくマレビトなのであろう。

 

夕方、稽古をしていると、思考の流れを縦横無尽に図示するのにパソコンだけでは足りない。ノートに書いて図示しないとこんがらがってしまう。それで、横罫B5のノートにボールペンで書きいているとどうも筆がすすまない。ボールペンのアフォーダンスだ。近くのスーパーまで走って、ジェットストリームを3本買って、稽古を再開。午前3時に仕上げて、眠る。

 

本日の稽古の振り返り 「わたしがわかるのは、わたしがその事を知っているからだ。少ない言葉である事象を理解できるのは、バックグラウンドで暗黙知が働いているからだ。伝えたい人を想定し、その暗黙知を想定しながら、文章を書くということ。」