9月29日

一年で片手で数えられるくらいしか着ないスーツを着る日。ひさしぶりにパリッと仕立てられたブルックスブラザーズのシャツに身を通すと、気持ちも引き締まる。言葉も引き締まる。スーツで道中の1時間弱を、近江平野とも蒲生野のとも呼ばれる田んぼ道を、突っ切りながら、The little williesを心地よく聞きながら、結婚式場へ向かう。10年以上の間を開けて会う高校の同級生はどうなっているのか。あるいは、どうかなってるのはぼくのほうか。

 

結婚式を終えて急いで大阪で試合。大敗を喫した。そのときには、何が良くて何が悪かったかを、主観を放り捨てて(客観でもなく)、プライドも放り捨てて、分析する。変化は一瞬で実になるものではない。けれど、心意気や態度やマインドセット自体は一瞬で変化することができる。そうして、心と頭を変化させ、それに伴った行動を繰り返していけば、体はついてくる。今年から新加入のメンバーがこれまでにやってきたことと、いまのチームでやろうとしていることには大きな違いがあって、これまでのことを捨てられずにいることが問題だ。このあたり、マインドセットをコントロールするセンスこそ、変化するための超重要項目に違いないとおもう。それに気づくには読書かいい先達をもつことだと思っている。

 

老子が言った。「生而不有」生ずるも有とせず、と。うまくいって調子に乗ってしまいそうなときに、この言葉を知っているか、知っていないかで、メンタリティが変わってくる。有効な思想や哲学というのは、ある出来事が起こったとき(あるいは、そん渦中にいるとき)に、自意識に介入してきて、意識のコントロールを促すのだとおもう。ならば、新しいことを行うとき、仮想で自分の頭の中を空っぽにするという意識のコントロールができるかどうかが、大人になってから、変化できるかできないかの分かれ目ではないだろうか。

 

世の中で、負け組とか勝ち組という言葉が使われ始めてから、世界はそのふたつで成り立っていると(無意識のうちに)認識していて、それがなぜやばいのかというと、もっと多様な評価軸があるはずなのに、その二つの言葉に既定されてしまうことがやばい。どうせおれなんて、お金持ってへんし、いい車乗ってないし、ってだけで、そのひとのことがわかりますか?わからないでしょう。

 

高校卒業以来会った友人たちと話していると、みな時間を切り売って仕事に精を出している。かくゆうぼくは、20代の後半をお金より時間を大切にしようと心がけた。他の人と違うものに投資した。彼らがせっせと夜22時まで働いているときに、ぼくは17時には家に帰ってずっと本を読んでいた。

 

ある友人に休日何してんの?と聞くと、とくになにもないという。また別の友人はお酒飲んでいるという。結局、時間ができるだけでは意味をなさず、時間があってもなにをしていいかわからない人多数が現状なのだろう。自身と向き合う。目標を定める。時間を作る。

 

学校の先生の友人は、言葉とその定義が一義的であるために、つまり、言い換えやダジャレがないから、ルールに囚われてしまっている。遠くからぼくが見る限りにおいて、あなたいっぱいいっぱいですよ。

 

世の中には正しい答えはないであろう。世の中で楽しく生きるための正しい答えはあって、自分自身が変化することだとおもう。変化するためにはどうしても時間と本と先達が必要なのだと、10年以上経って久しぶりに友人と会うとおもった。だいたいね、そういう友人て、ひさしぶりにあったのにm、自分勝手で無責任なことしか話ないのだから、そんな発言なんて放っておいたらいい。大事にしたいのは、友達の少ない友人の方である。

 

世の中を、善悪だけで考えてしまう寂しさったらありゃしない。