9月15日

20時頃、試合を終えて草津の体育館を出たら、駅前のビル群のあいだに浮かんでいる黄土色のまるい月に見とれた。変化というのはいまだによくわからないが、しかし、とても面白いなあなんて、月に照らされながらの帰路に、全開の窓から入ってくる風を受けながら、カンナビジオールの煙を吸っては吐き出しておもう。

 

白洲正子『かそけきもの』を読みながら、僕の生まれ育った地域のことを知りたいと思うなんて、数年前の僕ならおもってもみなかったろう。ぼくがこれほど読書するなんて、数年前の僕なら思ってもみなかったろう。大学生の頃なんてほとんどのお金を服に使っていたのに、いまや、本と食材と旅と学びに全振りするなんて、数年前の僕なら思ってもみなかったろう。サッカーやフットサルではドリブルしかしなかったのに、有効的なパスとそのあとのオフザボールに注力するなんて、数年前の僕なら思ってもみなかったろう。

 

ビルの合間から見た月を今日美しいと思った自分は、また明日には違った自分であり、来年にはさらに違った自分である。月は刻々と変化していて見ている「わたし」はそれに気づいていないだけで、それ同様、「わたし」も刻々と変化していてそれに「わたし」が気づいていないだけで、確固たる自分なんて捨てて、アイデンティティなんて捨てて、矛盾を楽しむことにこそ、人生の楽しみがある。世の中、真実はひとつかもしれないけれど、その見方は幾通りもある。そのことに気づくだけで、月は美しく見えるし、人生も捨てたもんじゃない。