8月12日

AM1時に練習から帰宅して、シャワーを浴び、2日分の着替えを持ってAM2時すぎに家を出た。眠くなるまで運転しようと1時間粘ったが、名神伊吹SAで力尽きた。7時に目が覚め、名神を東へとひた走り、小牧ジャンクションで中央道に入って、中津川で降り、国道19号線、木曽路を行く。木曽路を越え長野に入る。

 

疲れた身体で、ソーシャル圏外へ出向く(ソーシャル圏外=誰も知り合いのいない場所)。道中、昨日の同級生との会話を思い出す。「少しあわへん間にめっかわったなあ」「僕もそう思う」「どうしたん?」「んー、変わった友人が多いからとちゃうかな」

 

OS日本のメインアイデアは、空っぽだとおもう。空っぽとは、思考の別空間に一時的にバーチャルなnullの記憶領域を作り出すこと。そこに別のOSを入れ、デュアルブートする。

 

出会う人や友人や先達によって、自分の中にカラッポ領域を作り、成長するのではなく、変化していく。(これは大事!成長っていうと昨日より今日の方が大きくなっていなくてはいけないと認めること。そんなことが是になったら、息詰まる)そうぼくの先達は変幻自在だった。自分を空っぽにするすべを身につけている。

 

この時代、どこにいようがだれにでも私淑できる。勇気とテクノロジーと知識さえあれば。それがこの時代の作法なのだとおもう。というより、誰だってメールくらい送れるでしょ。

 

北アルプスを眺めながら、塩尻から松本に入って、ひとやま越えて、上田へ向かう。ぼくが上田が好きなのは、ルヴァンの酸味が美味しいあんパンと、お気に入りのくっさい硫黄の別所温泉があるのと、いつもAmazonでお世話になっているバリューブックスの実店舗Naboがあるからだ。

 

Naboでは気づけば3時間弱の滞在。松岡正剛『知の編集工学』、白州正子『なんでもないもの』、網野善彦『日本とは何か』を購入。スーザン・ソンタグ推しの棚があり最高だったなあ。店内で、他の客の会話が耳に入る。「この本、定価より高なってるやん」と。定価や値札のないモノを購入するときにこそ、そのひとのモノとの接し方がわかる。安いから買うのか、そうじゃない。それだと作り手が苦しくなるだけだ。ぼくは古本屋では、この本いくらやなと自分で値段を決める、そうして初めて、値札をみる。消費社会は他人が決めた値段(価値観)を妥当だと感じかどうかなのだと少し寂しく思いながら、だからこそ、自分でプライシングする努力を怠らないでいたいと思った。

 

店を出て、向かいの山にある別所温泉へ。真田幸村の秘湯、大湯へ。脱衣場極狭、シャワーなし、シャンプー石鹸なし、泉質くっさい硫黄、蛇口からもくっさい硫黄、ほんとなにもないいけれど、これがたまらなくいい。蛇口から出るくっさい硫黄の源泉をケロリンの黄色い桶に入れて水でちょうど良い温度にし、頭から一気に湯を浴びる。左一行!完璧なモノより、フラジャイルなものに惹かれる。

 

Naboで読んだ、レイブラッドベリ『さよなら僕の夏』にはこうあった。

 

息を吸ってとめる、全世界が動きをやめて待ち受けている、そんな日があるものだ。終わることをこばむ夏。

 

今日は真っ暗闇の中で、明日の道程だけ確認して、眠りにつく。いつもの道の駅にて。