8月5日

現場への道中、年下の同僚から、「おれ、もうすぐ仕事辞めます」と報告があった。僕たちの世代は、とりあえず一旦は年長者の話を聞く。けれど会話や行動におかしな点があるかを常にチェックをしていて、それが認められたら、殴りかかったり対話をしたりする代わりに、その場からすーっといなくなる。人の上に立つ立場のひとは、これが難しいのだろうけれど、いつも自分の発言を一字一句聞かれていることを意識して発言しないと、カウンターパンチを食らうことになる時代である。 帰宅して、今日は読書の日だと決め込んでいたから、内田樹『日本辺境論』を読み切る。ストロースのところ、鈴木大拙の「飛び込み」のところがいい。最後、読み上げるところで、「面従腹背」と言う言葉がでてきた。わからないから調べると、「外来の権威にとりあえず平伏して、その非対称的な関係から引き出せる限りの利益を引き出す」とあった。

 

21時を回った頃に、どうしてもコーヒーが飲みたくなったから淹れる。コーヒーを飲みながら、『老子』をパラパラ読む。いまのぼくはどうしても『老子』をパラパラとしか読めない。パラパラしてたら、「人民が飢えるのは、支配者がたくさん税金を取り立てるから、それで飢えるのだ。人民が治めにくいのは、支配者が余計な作為を弄づつから、そこで治めにくいのだ。」と。これは国家の統治にもいえるが、組織の人間関係にも当てはめられるな。生活のときどきにふらっと老子が現れる。

 

そんでもって待望の高山宏『アリス狩り』を読みはじめる。濃厚なアリスの批評。30ページほど読んで、メラトニンが効いてきた。本の批評の型を身につけているひとの批評っていい。高山宏『アリス狩り』より。「さて今までのところ我々は、激しく変貌していくヴィクトリア朝英国にあって自分を疎外された時代遅れと感じていたキャロルが、如何に外側の世界に対して内側の世界というものに執しつづけたかということを、主としてキャロルの生涯にそくして見てきた」とある。そうです、この方法によって、ある作品がどういう背景で書かれているのかということ、誰がどんな発言をしたかということなど、を見ることが、決定的にその作品自体を見るうえで大切だということに、もっと積極的になった方がいい。

 

僕たちがこうしてなにかをやろうとしたり、思考したりしていくのに、時代や環境や土地などの背景となるものの影響は計り知れない。2019年、オリンピックの前の年、アメリカと中国の貿易戦争の代理、スマホのコモディティ化、税率10パーセントに対する選挙投票率の低さなど、あらゆる地となる問題は目に見えるところで起こっている。目に見えているのに、無関心のせいか、目に見えないように振舞う習慣を早く取り除かなくてはいけない。

 

そういえば、仕事を辞める同僚から、「このさきどうするんですか?」と聞かれた。「そうやな・・・」と。思っている以上に早く時代は変わっていっている。この場所から移動するために、2倍以上の速さで走らなければいけないなと、アリスの赤の女王が走っている姿を思い起こす。