7月24日

自分を虐げる発言をしてはいけない。それを聞いて、はははと笑っている場合でもないと、おっさんの会話を黙って聞いていた。「どうせおれなんか・・・」なんて言ってるのは、自分が思い上がっているだけで、自分で勝手に作った(刷り込まれた)イメージを自分に押しつけ、もっと悪い場合には、他人に押し付けているだけだ。なぜそうなったかというと、友人の幅が狭いこと、知識の幅が狭いことの起因すると思う。東京の僕の知人は、早く変えれる仕事をいいなという。

 

宮本常一『民俗学の旅』のことを思い出した。「地方の人たちが胸を張って中央の人たちと対等に話ができるようになるためにはまず地方の人たちが自分の力を高め、それを評価する力を持たねばならぬ」と。

 

変な人とたくさん会うこと(いろんな考え方をするひとがいるということを肌で感じること、あるいは想像を超える凄い人がいるということ)、気になった場所へ旅すること(本に書かれていること、聞いた話はあくまでキッカケである)、その幅がギャップが人格を作り、それこそが楽しさの秘訣なのだとおもう。

 

昨年、蜂の巣があった場所に、今年も蜂の巣があった。ひとの頭の中に記憶があるのではなく、場所に記憶があって、その場所の目印やアイコンを見たとき、その刹那、場所を思い出すのではないだろうか。記憶すると言うが、記憶はおそらく場所の中にある。

 

帰宅したら、内田樹『日本辺境論』がバリューブックスから届いていた。今朝のおっさんの会話のことがドンピシャで書かれていた。

 

■辺境人の最大の弱点は、「私は辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かなければならない」という論理形式を手放せない点にあります。(中略)必要なのは、「私は辺境人である」という自己規定のかたくなさを解除して、「外部を希求する志」だけを取り出すことです。空中に浮かぶチェシャ猫の笑いのように、「外部を希求する主体」から「志向」そのものだけを切り出す。

 

■学びが成立するのは、「私はそれをいまだ持たない」という欠落が切迫してくるからです。「すでに持っていること」を覚知することによってではなく、「いまだ持っていないこと」についての切迫が学びを起動する。先駆性とはそのことです。

 

ここのところ、内田樹さんが結構気になっている。先週末京都に行った際には、30分だけ時間があったので、恵文社で立ち読みしたのが、『そのうちなんとかなるだろう』であった。普段僕が考えているようなことが、言語かされてあった。そしたら、今日、吉本ばななさんが「内田樹さんの半生記(と呼んでいいのかな)「そのうちなんとかなるだろう」、そんじょそこらのスピリチュアルな本よりずっとすごい。「もしかしてこうなのでは?」と思っていたことが、みんな「そうですよ」という感じではっきり書いてあった。 ば」とつぶやいていた。

 

日中が暑すぎて、ぼーっとする。兄の奥さんの実家から届いたお中元の鰻を4切れ食べたら復活した。今日はゆっくり読書しながら、静まり返る夜風を浴びて、クールダウン。