7月23日

疑問を疑問のままほうっておかないで、問いにする。Qが生まれると、Aを探しだそうとするのが、本能でしょう。ワイドショーのゲーノー問題も、選挙の特番も、オリンピックの中継も、サーカス。個々人の問題を掬う解像度をあげ、レンズのピントを直し、問題のなにが問題なのかを問うことは、周りの環境なくしては育たない。

 

「社会」の大半は、メディアが吉本の株を40%持っていることも、それがなぜ問題なのかもわかってないので、あまり心配する必要はないと判断しているのでしょう。とちきりんさん。

 

この21世紀を支配する新たな3つの力には強力な共通性があった。それは希少性の否定ということだ。多数が向かったところを正解にするということだ。仮に世の中に希少な魅力をもつ者があったとしても、マスメディアやマスカルチャーがこれを放っておかない。すぐさま陽の当たるところに引き出し、これをタカをくくった評価額だけで誉めそやし、多数の目にさらす。そしてそれが損なわれたとたん、タバコの吸殻のようにポイ捨てをする。

 

ただひたすら「そういうこと」が興り、「そういうこと」が廃れただけなのだ。つまりはステレオタイプが作られただけなのだ。

 

(千夜千冊566夜『パンとサーカス』より)

 

いろいろの問題が噴出したとしても、足掛かりとなる出来事が目の前を歩いていたとしても、大衆にとってそれは、パンとサーカスだった。忙しいのはなぜなのか?大衆よ。NACを飲んでデトックス、快腸である。今日は大暑である。

 

AKIRA観了。テツオがどんなに強大な力を得ようが、金田にとってのテツオは、「あのころ」のテツオである。金田はいつもオレが蹴りをつけなければいけないと思っている。ポピュリズム。多数が向かったところを正解にするということ。ただひたすら「そういうこと」が興り、「そういうこと」が廃れただけなのだ。つまりはステレオタイプが作られただけなのだ。あらゆる問題に対して他人ごとなら、タバコの吸殻のようにポイ捨てをするようなものだ。テツオに対する金田の姿勢でありたいものだ。