7月22日

なんだかんだ一日中しとしと雨が降っていた。合歓木が咲いている。

 

仕事から帰宅して、『AKIRA』を見る。AKIRAという名指しえない正体(何かわからないけど背後で蠢く大きな存在)が、憑依したテツオというイツに対して、金田という個人が立ち向かう。偶像や大きすぎる社会とのアイダには、何層もの導線があることを想定してしまうのは、その大きなモノは自分ごとではないと思うからなのではないか。テツオが強大な力を得ようが、金田にとってのテツオは「あのころ」のテツオである。二人の関係において、何層もの導線なんてない。金田はオレが蹴りをつけなければいけないと思っている。

 

生活とは何なのかと聞かれてもよくわからない。そんなときには、テツオと金田の関係を考えればいい。普段飲んでいる水はどこから来ているのか、夕食の肉となった牛は何を食べ、どのようにして食卓まで運ばれてきたのか。そういう目の前にあることのちょっと前を想像し考えて行くことからあらゆることは自分ごとになっていく。大きな問題が目の前にそびえ立っているとき、あーめんどくさいと思わずに、AKIRAを見返して、大きなテツオと一個人の金田の関係から問題を見れば、実はその間には複雑な問題なんてなにもないんだということにきづく。

 

「賢人は必要にせまられて眠るのでもなく、眠りたいから眠るのでもない。ただ眠いから眠る。」(スマリヤン『タオは笑っている』)

 

SFはやっぱり、AKIRAのような、ブレードランナーのような、攻殻機動隊のような、荒廃した世界がいい。

 

先日USから届いたVital Nutrimentsのデトックスキットで、毒抜きをはじめる。便が20パーセント増しになったのは、気のせいだろうか、夏のせいだろうか、デトックスキットのせいだろうか。汗を掻くことによって体内の毒を抜けるのは夏の間だけである。秋になると冬の寒さをしのぐために体は、エネルギーを溜めはじめるから、今のうちにしっかりと、毒を抜く。

 

あらゆる行動を考えるとき、天体の運行や季節などの大きな枠の影響をまずは考えてから、そのときに最善の努力をする。ハウス栽培が可能になり、いつだってトマトを食べられるようになったとはいえ、やはり本物の太陽で育ったトマトを旬に食べる方がうまい(比喩ですので、トマトいま訳あって食べませんけど)。

 

夜、内田樹『日本辺境論』をバリューブックスから買う。