7月21日

ドキドキしている。梅雨が明けたからなのか。社会の綻びが見えたからなのか。近未来への個人的目標が見えたからなのか。ドキドキしている。

 

ここ最近、社会の問題がいたるところに家庭や地域やあふれ、目につくようになってきた。必死に大きな壁でせき止めていたけれど、無数にあいていた小さなあなを止める手の数が足りなくなっている。そんなことわかりきっていたことなのに。荒廃した場末には表現が艶やかとなり、大衆はええじゃないかと踊り出す。

 

足場がグラグラな21世紀初頭において、正解はなく、あるいは、唯一の正解は、変化することである。しかも無常迅速に変化することである。それは、考え方だけを意味せず、住む場所も付き合うひともすべてを、タイミングを見計らって、そのときにいい場所へと一気に。とおもったのが、今朝の実感。

 

すべてを軽くする。もっと思っている以上に極端に軽くする。なんならゼロにする。思考を圧縮し、身体を健康に保ち、人間関係を狭く太くする。贅沢をせず、投資は思いっきり。いまからすこしずつ、数年後にはそうなっているように、今日を生きる。今までもそれはわかっていたこと、そんなこと急遽する必要があるのかとおもっていたこともあり中途半端であった。健康の見地と先端を知り実践していたことと、時間の使い方を試行錯誤していたことが救いであった。

 

だれもが変幻自在であることを知ることと教えないようにすることのせめぎ合いが格差となっている。格差とは情報格差である。