7月18日

ものすごい湿度の朝、水を常に浴びているかのようであった。

 

「以前Forbesで紹介したJHU主催のCenter for Talented Youthを見学しにLAへ(全米複数箇所で同時開催中)。学校の勉強だと物足りない生徒向けに、先取り学習でもなく受験勉強でもなく、知的好奇心を刺激する学びを提供するCTY。日本でもこういうプログラムがあるといいのに…と思うのは私だけでしょうか? https://t.co/8CVEHKeBWN 」と、小林りんさん。

 

前に、子どもに本を読ませるのにどうしたらいい?と聞かれて、そんなの親が楽しそうに読んでいたら、読むでしょと思った。だから、子どもの疑問に自分も同じように楽しそうに調べるだけでいいんじゃないだろうか。現在、教育をまわりのせいにしたり、外注しているけれど、親が楽しそうに何かしていれば、子供は気になって、やりはじめる。ということは、子どもより親の教育の方が大事なのだろう。親に多様性と好奇心さえあればいい。知らないことが目の前に現れたときに、カッコつけないで知ったかぶりせずに、知らないことを認め知ろうと足掻くことのほうが大切じゃないか。

 

15時頃、西の山の向こうからだんだん黒い雲が近づいてきた。やばいっと、仕事を締めて避難した刹那、大雨が降りはじめる。この雨がやむ頃には、梅雨がどこかに去っていくのだろうか。

 

帰宅して、郵便ポストをのぞくと、工作舎の伝説の雑誌『遊』が届いていた。『遊特集祭る』をちらっと読む。『遊』の編集術に驚愕しながら、自分の固定観念という枠や誰が決めたのかわからないのに従ってしまう常識という枠を取り除いて考えるには発想するには、まずは、言葉遣いを変えるしかないのではないだろうか。編集術によってこれまでにない言葉で作った枠のなかに、「わたし」が飛び込んでいくことだな。

 

そうこうしながら、昨日作った鹿肉キーマカレーを温めて、赤タマネギのピクルスを添えて、18時過ぎに晩飯を食べていたら、ヤマトから届け物。待望のMacbookProが上海から到着。16GBのメモリ、もう言い訳できない。師匠の言葉を噛みしめる。

 

そのために、僕は二つ以上の仕事をすることを、適宜オススメしている次第です。そのひとつは、自分が大好きなことで、当面稼げなくても、技能職であることが望ましいとお話しして参りました。鍼灸師でも寿司職人でもビデオグラファーでも構いません。可能なら「言語を超える手に職」を、7年かけて手に入れる計画をお考えになるといいでしょう。

 

しかし、本当に好きなものが見つからないのであれば、「スキルや資金力」の問題ではありません。ご質問にあります「会社の社会的信用や地位、報酬に頼らずに新たな未来を切り開くためには」、まず、自分としっかり対話し、どんなに大変でも心の中から湧き上がる未来のご自身のビジョンを掴まねばなりません。こればかりは、いくらインターネットを検索しても出てきません。「他力本願」ならぬ「インターネット本願」を辞め、「強い個」をはじめましょう!まずは、ここからですよ。