7月3日

湿度の高い朝、少し眠たい、河川の草刈り、8月に上演の『東京裁判』の前には背景の予習を。

 

『ニューヨーク公共図書館』のことを考える。図書館は本の収納庫ではないし、司書は本を整理するだけではない。あらゆる「機能」について、注意のカーソルをもっと拡張して引き伸ばしてこねくり回して、「編集力」を用いて、あらゆる視座に立って考えていかねば続いていかない。

 

『ニューヨーク公共図書館』は、別段映画館に足を運んで見なければいけない作品ではない。それは、映画は特別な体験をする場としてとらえたいからで、現時点での映像における特別な体験とは、IMAXなど高解像度の動画、または場を変えた星空映画祭などだとおもうから。それ以外はNetflixでいい。ただ、この映像はどこかで見たほうがいい。

 

高城剛『まぜる!!マルチメディア』を読みながら、ひさしぶりにどきどきわくわくした。年に数回ある面白い本を探り当てたときの、一気に読みおえるまで止まらない衝動。翌日の寝不足なんてものともしない。おもしろいことをするのには、テクノロジーやお金ではなく、まずは、手を動かすこと、混ぜること、考えを勝手に制限しないこと。はい。