6月24日

朝起きて、居間で寝転んでテレビを見ていたオヤジに「おはよう」と挨拶すると、テレビを見たまま「うーん」と帰ってくる。なんだか朝から悲しくなってしまった。片時も目が離せないほどテレビは、日々の何気ない挨拶より大事なのか。スマホを見ながらひとと話すのしかり、言葉を交わすときには、目を見て顔を見たい。挨拶はことばだけではない。言葉なのだから呪術的な意味も含まれているが、顔を合わせることで、そのときの気分や調子を察知できる。

 

昨日Nina Simoneのドキュメンタリー番組を見ていたら、Ninaが「愛したことのない人に愛する感覚を教えるのは難しい just feeling its just feeling」と言ったのを思い出す。Offlineのface-to-faceのいいところをもっと味わって生きてゆきたい。後悔先に立たずというが、後悔するような出来事が起こってからでしか気づけないなんて無惨である。そうならないように、日々のそういった細々したことに注視したい。

 

親父が19時過ぎに帰宅。帰宅してすぐにテレビをつけてバラエティ番組を見ながら晩御飯を食べる。食後もしばらくテレビを見て、風呂に入って、自室へゆく。

 

仕事で何をやっているのか不明。テレビを見て何を考えているのか不明。体調不明。何を考えているのか不明。彼から何を学べばいいのだ。学ぶものなんて、こんな俺にはなるなよってメッセージしか受け取れないのだけど。「会社づとめに身も心も捧げつくして、結局それでいったいなにになったというのか?できあがったのは、父親は子供のことをろくに知らず、女性初出産を望まなくなり、老人は家族からも国からも見捨てられたと感じている社会。」(ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』より)この本を読んだ時にぼくはここに付箋をつけた。

 

最近強く思うのは、誰から学んだかというのがとてつもなく大事だことである。ぼくもそれを意識している。学ぶひとをしっかり見定めている。そうして決めたら、なにがあっても信頼し、へこたれない。ついて行く。

 

毎年ながら、6月が終わる頃、梅雨が終わる頃、本格的に夏がはじまる頃に、サガりきっていた気持ちがアガリ始め、今年のやろうとおもうことが明確になる。夏はもうすぐ幕開け、遊びほうけよう。